僕はまた、旅に出る。

僕はまた、旅に出る。

言葉で絵を描くAIについて

最近、SNSで、言葉から絵を生成する「Midjourney」が話題になっています。

 

www.midjourney.com

 

とりあえず自分も生成してみたので、思ったことを雑記。

 

触って遊んでみる。

生成してみた絵。より詳細な絵や他のバリエーションを生成するコマンドも提供されている

 

確か、「未来のキャンプ」、みたいな形でプロンプト(指示文章)入力したと思いますが、こんな感じで出てきました。ネットで流れてきたものをみた感じだと、「〜風で」など、より詳細な描写をすると、もっと絵が具体的になるみたいですね。

 

注意:無料版 は Creative Commons 4.0 by-ncライセンス みたいです。

商用利用する場合は、有料プランに入る必要があるようです。注意。

 

生成された絵を見て感じたこと

この技術は 研究分野で言うと、Text-to-image というマルチモーダル(言語・音声・画像等、複数の出入力情報が、複数のモーダルからなる)の一種で、逆の絵からテキストを生成する技術は、image captioning などが挙げられます。

似たような技術だと、OpenAI が出した DALL-E などがありますね。事前の学習データとして、4億の画像とテキストのペアデータを使って学習された機械学習モデルも併せて使っているので、相当な量の学習データが使われていることがわかります。

絵を見てみると、確かにちょっとしたイメージ図や、挿絵であれば、代替されてしまいそうですね。

ただ、今の所、小説生成などと違うところとしては、小説の生成であれば、生成された文章に対して、人間が修正することが簡単ですが、今回の画像の生成では、一枚の画像として出てくるので、「この画像のこの部分に書かれているオブジェクトをもう少し大きく」、とか、「もう少し左に」とか、細かな修正を簡単にすることが難しいところでしょうか。いわゆるレイヤー分けされてないので、そのあたりの使い勝手は、この絵をレイヤーごとに生成し直す技術などがあれば、解決するかもしれません。

あとは、文化依存の問題ですね。学習されたデータが欧米圏のものが中心であれば、日本語特有の言葉や日本の人物(そもそも日本語入力でない時点で難しいですが)を入力してもうまく行かない場合があるのかなと思います。

 

まとめ

新しい技術で遊んでみました。

すごい技術が生まれていっていますが、できること・できないことがありますね。

AI に仕事が奪われると思う不安もありますが、まずは触ってみて、どう活用できるのか、何ができないのかを知る、といった見定めをすることが必要ですね。

 

そのほか参考

en.wikipedia.org

 

www.businessinsider.jp

【スイスひとり旅 9】氷河を眺める絶景レストラン、アイガー北壁を横目に(動画編あとがき)



 

みなさんこんにちは。@heat02zero です。
 
旅行記動画化、第9話が公開されました。
 
 

以前書いたブログ版はこちら(ちょっとだけ詳しい)

・アイガーグレッチャーから、クライネシャイデックのハイキング

 

・クライネシャイデックから、グリンデルワルトのハイキング

heat02zero.hatenablog.com

 

動画後書きと補足

当時のランチの自宅再現

後日、自宅でもレストランのランチを作ってみました。美味しかったです。

 

氷河の崩落音に感動する

いきなり爆音が聞こえて、一体なんだ!?と驚いたのですが、氷河の崩落音でした。

登山小屋の恐怖感、アイガー北壁の圧倒感も含め、現地に行かなければ分からなかったことを知る、というのも、旅行の醍醐味ですね。

 

動画で写っていない、ラストスパート

動画では、さらっと流した、牧場〜グリンデルワルト区間ですが、近いようで、意外と距離があったので、かなりしんどかったです。

スイス旅行に向けて、体力トレーニングは多少していたものの、下山に使う筋肉は鍛えていなかったということもあり、翌日は筋肉痛で大変だった記憶があります。

まとめ

今回は、アイガーグレッチャーから、クライネシャイデックを経由して、グリンデルワルトまでのハイキングの様子をお届けしました。

旅行の参考になると幸いです!

今後も続きをアップしていきますので、応援よろしくお願いします!

 

ブログについて補足

今月は、いろんなテーマで、毎日ブログ記事を書いています。

よろしければご覧ください!

離島地図の影、観光の裏に。

 

後日、動画でも紹介するのですが、先月、離島観光に行く機会がありました。
 
観光用の地図を片手に、島の観光名所を順番に回っていきました。
海辺を散策したり、人1人しか通れない自然豊かな林道を歩いたりしました。
 
最終日。そのときに限って、携帯していた水分の残量がなく、日差しの中、水分摂取できる場所を探して彷徨っていました。
手元の地図を参考に、民家がある方向に向かって歩いていくと、開けた場所に出ました。
目の前に現れたのは、粗大ゴミの集積所でした。
地図に書かれていた道が全てたと思っていたのですが、そうでもないらしく、集積所入り口にあったプレハブ小屋で作業をされている方に、島の中心地の方向を聞き、再び、地図に沿って歩いて行きました。
 
左右が林で囲まれている一本道を歩いていくと、途中で民家が並ぶ道路があるようなので、右に折れてみたのですが、また地図に書かれていない道に入り込んでしまったようです。
 

今度は、火葬場が目の前に現れました。

 
 
島の地図に記されていない火葬場やゴミの埋め立て場。
迷い込んだ時、なんだか、島の触れてはならない部分を見てしまったような、少し後ろめたい気持ちになりました。
 
笑顔の仮面の裏側。けして、観光客には見せない、島民だけの裏側。
 
…なんてことを、思ったりしたのは、島の全ての道やオブジェクトが地図に描かれていないということが、島民の方々が、観光と島民の暮らしを切り離しているように感じたからかもしれないです。
 
一方、観光を産業としているからこそ、楽しい部分だけを記すようにしていたのかもしれません。
 
きれいなものだけでなく、暮らしがある。
 
地図の影、観光の裏にある、離島の側面を垣間見たような気がした出来事でした。

美術館に行くようになって変わった、鑑賞の移ろい



今年は、年初にたくさん本を読むことを目標にしました。

いろんな本を読む中で、ブルーピリオドを読み始めてから、美術系の本を読んだり、美術館に行く機会が増えました。

この1年間で訪れた、大きめの美術館としては、

彫刻の森美術館

・ポーラ美術館

国立西洋美術館

・DIC川村記念美術館

東京都美術館

です。

そんな中で、美術館に行くようになって、変わったことがいくつかあったので、書き残しておこうと思います。

 

美術品に対する鑑賞の移ろい

これまでは、その作品の”美しさ”や”構図の良さ"みたいな部分に目が行きがちでした。整い具合、といった方がわかりやすいかもしれません。

ここ数年で、少しずつ鑑賞という行為が変わってきたように思えます。

以前のブログ記事でも書きましたが、

美しいものを作り出す、ことだけが美術ではなく、作家が生きた時代への理解や、作者への理解、作者や作品それぞれとのつながりを理解していくことで、鑑賞への”奥行き”が生まれたのち、これは(自分の知っている)何かである、というラベルを貼ることで、作品を無理やり理解するだけではなく、あえて、作品から”わからない”を感じ取ったり、それを楽しむことも間違いではないことを理解できた気がします。

 

heat02zero.hatenablog.com

 

帰り際にポストカードを買うようになった

以前は、展覧会の会場を出た後、美術館の売店に立ち寄っても、特に何かを購入することはなかったのですが、最近は、作品のポストカードを買うようになりました。

上記でも挙げましたが、美術館に行って、「行って良かったなぁ〜」とか、「いいもの見たな」とか、で終わることが多かったんですが、こうやってブログに書いたり、他の媒体でも書いたり、友人とも話をする中で、美術鑑賞というものが、美術館の外でも行われるようになりました。その結果、展覧会で、いいなと思った作品や、直感的にビビッときた作品をポストカードとして買って帰って、何でいいなって思ったんだろう、とか、自分の中で消化しきれていなかった、作品への感情を反芻するようになった気がします。

 

美術館、というデザイン

作品展だけではなく、美術館そのものにも目が向くようになった気がします。

この作品展では、どういった展示方法をとっているのか。美術館のコンセプトって何かあるのだろうか。そんな、美術作品の外も少しずつみるようになってきました。

たとえば、DIC川村記念美術館やポーラ美術館は、美術館だけではなく、敷地内の自然を含めて楽しめる構成になっていました。この場所で美術館を始めた理由なども知るとさらに面白いかもしれません。

 

まとめ

美術鑑賞といっても、鑑賞方法は十人十色です。

頭を空っぽにして楽しむ美術、時代の窓として楽しむ美術、人とのつながりを楽しむ美術。自分の感性との対話を楽しむ美術。ほんとうに様々です。

いろんな方法で鑑賞できるようになって、より作品という概念を立体的に鑑賞できるようになった気がします。

ぜひ、みなさんも、自分なりの鑑賞法を見つけてみてください。

ウルトラマン世界では、暮らしやインフラはどうなる?

先月、シン・ウルトラマンを観たことがきっかけで、ウルトラマンZを観ました。

動画を観ていて、この世界の日本の過酷さを感じたと同時に、今の日本よりもひどい災害が起こる世界では、どんな暮らしになるのか気になりました。

厳密な技術調査等はしませんが、気になったことを、いくつか書いてみたいと思います。

 

ウルトラマン世界では、持ち家? それとも賃貸?

ウルトラマン世界では、理不尽な理由で、突如として住環境が破壊されてしまいます。

そうなると、人々は住む場所、どういうふうに住むか、を選択していかなければなりません。

日本のあらゆる場所で、怪獣が出現すると仮定した時、人は持ち家、賃貸、どちらを選択するのでしょうか?

おそらく、賃貸になるのではないかと思います。

というのも、土地ごと破壊される場合、住宅そのものを自分用にカスタマイズして購入しても、破壊されたときに金銭的に大きな損害が発生するからです。「思い出が蓄積された我が家」、というよりも、「いつでも避難可能な、仮暮らしの家」的な考え方に住まい観がシフトしているのではないでしょうか。

もっとも、賃貸が選ばれたとしても、ウルトラマン世界の賃貸マンションでは、マンションのオーナーが投資した金額を回収できない可能性が高いので、必然的に家賃が今よりもかなり上がりそうな気がします。

加えて、物件価格を決定するパラメータや、人々が引越しの際に目を向けるのは、住む街の「過去の怪獣被害状況」でしょうね。頻繁に怪獣が出現する地域は、土地代は安いものの、住宅代が高い、みたいな歪な金額設定になっているかもしれませんね。

 

ウルトラマン世界では、ミニマリストが増える?

賃貸になるということは、家の大きさも小さくなる可能性が高いです。加えて、緊急時に持ち出しできるものが限られてしまうので、ものをあまり持たないミニマリストが増えるんじゃないかなと思います。

持てる物が減る、ということは、収集等の趣味などの嗜好は、大量に所持することから、価値の高いものを所持する方向に変わっていくと思います。なので、自分の身につけているものや、趣味で購入したものに、大金を書ける場合も多いかもしれません。でも、そうなってくると、みんな高いものを身につけていることが多いから、ひったくりとかも若干増えるのかな…。どうやって価値のあるものを持つのか、そこも変わっているかもしれません。

 

ウルトラマン世界では、現金? それとも電子マネー

これは、日本社会でも言えると思います。電子マネーが昨今普及したものの、いまだに、現金が必要な社会ですが、これがウルトラマン世界になった場合はどうでしょう?

電気・通信がどの程度復旧するかによるのかなと思います。もし、復旧が早ければ、電子マネーでも大丈夫でしょうし、復旧に時間がかかる場合は、現金かもしれません。

一方で漫画や小説などの書籍は、もしかしたら、電子書籍のほうが圧倒的に使われているかもしれません。本の場合は、明らかに場所を取るので、災害用バッテリーさえあればオフラインでも利用可能な電子書籍が主流になるのではないのかなと思います。加えて、今年の前半に話題にもなりましたが、スターリンクなどの、衛星通信技術が発達すれば、電子端末のメリットはさらに増えるんじゃないかなと思います。

 

ウルトラマン保険(補償)、なるものが作られる?

家屋が「怪獣」に破壊されたか、「ウルトラマン」に破壊されたかで、保険の支払われる金額が変わったり、ウルトラマンに破壊された場合には、特例的に国から金額が上乗せされる(ウルトラマンは人間なので、自分の意志で、人々の暮らしを極力奪ってはならないという原則を守っているが、仕方なく破壊してしまった場合に補償が上乗せされる)等あるのかもしれませんね。

 

ウルトラマン世界では、インフラ(土木・通信)技術が恐ろしく発達する?

おそらく、どう頑張っても怪獣に壊されるので、破壊されるのが前提で、復旧がめちゃくちゃ早くなる方向にインフラ技術が発達するでしょうね。今でも十分早いと思っていますが、広大な土地が破壊されたとしても、最低限の復旧にかかる時間はかなり短くなるんじゃないでしょうか。

 

でも結局思ったのは…

ウルトラマンすげえ。ウルトラマン世界の隊員たちや武器、すげぇ。

現代で、こんな怪獣が出現したら、国が滅ぶ場合もありそうですよね。

怪獣がいなくて良かったなと思いました。

とは言いつつ、災害大国に住んでいるので、日々の防災意識や準備はしておかないといけないですね。

 

そんなわけで、ウルトラマン世界に住むときのことを書いてみました。

地獄の門、デジャブ

 
今年4月に、国立西洋美術館がリニューアルオープンしました。
最近美術鑑賞がブームなので、どんな展示をしているのか、気になって展示を調べていました。
 
その時、とある作品を見つけました。
 
「考える人」で有名なロダンの作品です。

 

この「地獄の門」を見た時、こう思いました。

 

これ、一度、どこかで見たことあるぞ…

 

デジャブです。

気になって、過去の写真フォルダを漁ったところ、その証拠を見つけてしまいました。

 

では、みなさんにも、デジャブを感じてもらいましょう

あれ…

見覚えのある形が見えるぞ…

これだ!(スイスに行った際に撮影)

 

自分が目撃していたのは、スイス、チューリッヒ美術館 の入り口の、「地獄の門」だったことが判明しました。

 

まさか、「地獄の門」でデジャブを感じるなんて、思ってもいなかった経験でした笑

 

地獄の門」は世界に7つ展示されているとのことです(日本だと、他にも静岡県立美術館にあるらしいです)。
今後、「地獄の門」のある国に滞在することがあれば、写真を撮りに行きたいですね。

 

みなさんも、海外旅行がてら、「地獄の門」めぐりをしてみてはいかがでしょうか?(冗談)

 

ということで、世にも珍しい、「地獄の門」でのデジャブ経験でした。

参考

国立西洋美術館

www.nmwa.go.jp

 

 

地獄の門 Wikipedia

ja.wikipedia.org

 

現在 Youtube に投稿中のスイス旅行記でも、チューリッヒ観光のあたりで紹介する予定です(おそらく5話以上先にはなりますが)。

夜に"始まる"旅に出たい

 
 
仕事が終わった時間。外は暗く、今日はもう終わりか…と思ったり、世間の状況も最近は盛り返してきてしまったので、なかなか夜の時間を楽しめないこの頃、夜というものに対して、1日の終わりが迫る感覚が日々続いているような気がします。
 
夜行バスや、飛行機の夜行便。休日前夜の夜のドライブ。大晦日の夜の時間。
夜に対して、”始まる”という感覚を失って久しいような気がします。
 
みなさんは、夜に繰り出す旅の記憶はありますか。
 
自分は、学生の頃、神戸から高松に夜行フェリーで行ったことを思い出しました。
まだ煌々とした三宮の駅前からビル通りを抜け、高速道路の巨大な立体構造物をくぐると、フェリーターミナルが現れます。
フェリーが出港すると、阪神の輝かしい都市のあかりから遠ざかっていき、途中、明石大橋をくぐると、瀬戸内海の静かな夜の海が広がります。
朝日が昇り始めると、穏やかで光り輝く淡い黄金の内海に、島々が柔らかな色で染まっていく様子眺めることができます。
 
もっと身近な”旅"でいうと、散歩もありますよね。
コンビニや自動販売機までの夜の散歩。ジョギング。夜に出かけるからこそ見える、普段と違った日常の様子が垣間見えたり、街灯がスポットライトとなって、普段見逃してしまう、近所のお店や建物、看板なんかにも目がいったりします。
 
今年の夏も酷暑で、出かけにくい状況が続きますが、まずは夜の散歩から、夜に"始まる"旅に出てみるのも、いいかもしれません。
 
(写真は本文に全く無関係な、大阪の夜の写真です)