僕はまた、旅に出る。

僕はまた、旅に出る。

AI時代の "人の魅力" ってなんだろう?(いろいろ出るよ・しゃべるよ!)

eyecatch

 

サムネイル に BGM原稿作成 に 読み上げ音声

最近は、様々なものがAIで作れるようになりました。

でも、なんだか軽い・・・。

なぜでしょう?

 

・・・なんだか、美味しい料理をじっくり咀嚼しているというよりは、カップ麺のように消費している感覚があるんですよね。

 

言い換えると、まぁまぁおいしいけど、素材の食感や風味、調理による深み がなく、ぼやっとしている。

 

やはり、人による一手間や仕上げは、まだまだ必要になるのでしょう。

 

以前も使ったことがあるのですが、音楽生成AIのSUNOでは、編集機能も追加されるなど、単純にプロンプトやジャンルを指定して生成するだけでなく、後処理を追加するなどの機能も追加されています。

 

これも、そういった、人の介在、すなわち味付けが、より魅力を引き立てるには必要ということなのかもしれません。

help.suno.com

help.suno.com

 

・・・前段が長くなりました。

僕は、ポッドキャストを配信しています。

 

こと、ポッドキャスト配信においても、様々にAIが活用される中で、「人がポッドキャストを配信する意味」や、「人の魅力」ってなんだろう、と最近考えるようになりました。

 

現状の結論は、「好き」を語ること・語る姿を見せること、なのかなと思っています。

 

そんな、「好き」を語ること・語る姿を見せる機会を、秋から年末にかけて、複数回いただくことになりました。

 

今回は、参加イベントの紹介と、所感についてお話しします。

 

 

雑談系ポッドキャストの日 Vo.4

 

10/17 から開催されている、Podcast番組「しゃべり足りない部」が主催する配信イベント「雑談系ポッドキャストの日」に参加させていただきました!

 

今回が4回目の開催です

 

自分が配信している番組では、冒頭お話しした AI時代でも、魅力的なポッドキャストの鍵は「好きを語る姿」なのではないか? みたいな話をさせていただきました!

 

 

共通のオープニングテーマは、「話したかったけど、話せてないこと」。

 

ジャンルの垣根を超えて集った番組・パーソナリティそれぞれが、このテーマをどう表現したのか。

 

ぜひ、他の番組のエピソードにも着目してみてください!

 

おまつりっすん

10/25 に、京都三条「深夜喫茶 多聞」で開催されるポッドキャストイベント「おまつりっすん 2025」の応募セッションで登壇させていただくことになりました!

 

 

ポッドキャストの配信プラットフォームである「LISTEN」は以前から利用させていただいておりまして、毎年開催されているイベント「おまつりっすん」も知っていたのですが、今回、初めてお邪魔させていただくことになりました。

 

トーク内容は…当日のお楽しみ。

 

関西圏にお住まいの方で、気になる方は、下記イベントページよりご覧ください。

https://listen.style/event/36

LISTEN イベントページ

ジャケギギ

11/28 から 12/2 にわたって、東京・原宿にある「ハラカド」で開催される、ポッドキャストアートイベント です。

 

ポッドキャストをもっと多くの人に知ってもらう」を目的とした番組のジャケット(カバーアート)を展示するイベントとなっております。

 

こちらには、番組のアートワークが展示される予定となっております。

こちらも着々と準備が進んでいるようで、当日がとても楽しみです。

 

二年前に開催された第1回ジャケギキは、タイミングが悪く応募できませんでしたが、今回は応募することができました!

 

目から耳へつながる新しい出会いが、とても楽しみです。

 

関東圏にお住まいの方はぜひ、足を運んでみてください!

 

ゆるラクゴ FES'25

12/7 に、東京・日本橋 にある「日本橋アートスペース兜座」で開催される、ポッドキャスターだらけの大ラクゴ会 である、「ゆるラクゴ FES」に出演することとなりました!

 

昨年は、来場者として参加させていただき、その感想をまとめましたが、まさか、今年は出演者になるとは…!(そして、まさか自分の人生で落語をやる世界線があるとは!

 

 

これまで旅行する中で何度も経験し、苦労した出来事が、ついに「ラクゴ」化します!

 

heat02zero.hatenablog.com

 

Podcast番組「ゆるラクゴのつくりかた」にゲスト出演し、上記を語ったエピソード

open.spotify.com

 

どちらかというと、裏方の方が好きな自分が表舞台に出るということで、緊張もありますが、いろんな方に楽しんでいただけるよう、練習・稽古を進めているところです。

 

昨年の舞台。戦々恐々です。

 

こちらもお近くにお住まいの方がいらっしゃいましたら、ぜひお越しください!

 

まとめ

  • AI時代のポッドキャスト配信のキーは、「好き」を語る姿なのかなと考えるようになりました。

  • そんな、「好き」を語る姿を表現できる場・機会を、この秋から年末にかけていただくことになりました!

  • みなさんに楽しんでいただけるよう、準備していきたいですね!

【裏話】カフェ巡りのブログ、立ち上げました

 

早速ですが、カフェ巡りの note を新たに立ち上げました

 

あの街カフェ」と言うブログです。

 

 

今回、この記事では、普段、このブログを読んでくださっている方向けに、新たに立ち上げた理由や経緯を赤裸々にお伝えしようと思います。

 

あれ、なんか聞き覚えあるぞ…と言う方もいると思います。

 

実は、ありました。

 

気づいた方は鋭い。

 

これまで、インスタ・noteマガジン・Youtubeポッドキャストとして、続けてきたものが、旧「あの街カフェ」です。

 

note.com

 

新しいブログは、これらの内容・世界観を洗練させ、スピンアウトさせたものになります。

 

今回は、その立ち上げの裏話です。

 

 

 

発端: カフェ巡りを紹介してみよう

以前からブログ記事にしている通り、カフェ巡りが大好きです。

 

相変わらず、年100軒ぐらい?行っているんじゃないでしょうか(少なくとも、ここ3年は行ってるはず…)

 

カフェ巡りのために北欧に行き、5日で15軒とか回ったりもしました笑

heat02zero.hatenablog.com

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カフェの紹介や、旅行記など、書いたりしています。

 

失敗: Youtubeポッドキャストをやってみるが・・・

そんなカフェ巡り好きが功を奏し、素敵なカフェをまとめたインスタを、昨年1月から始めてみました。

 

すると、楽しんでいただいている方も増え、せっかくポッドキャストをやってことから、Youtube をプラットフォームにカフェの配信してみようと思い、昨年4月に始めてみることにしました。

 

結果、ご存知の通り、投稿はストップしました・・・

 

理由はいくつかあります。

 

まず、思い当たるのは、「単なるおすすめのカフェ紹介に終始していたこと」だと思います。

 

カフェの素晴らしさだけでなく、その場で感じた、僕の「好き」や「熱」「楽しさ」

いった「自分らしさ」や「エピソード」が不十分だったため、僕だからこそ伝えられることが出せなかったなと思っています。

 

要は、さまざまな方が出している、SNSやショート動画よりも、自分らしい楽しさや魅力を表現したり、伝える工夫が足りてなかった感じです。

 

また、Youtube ということで、「写真・動画付き音源の編集」という側面での準備の大変さがありました。

 

普段のポッドキャストの編集は、大体収録音源の長さの3~4倍程度、編集に時間がかかります。

 

一方で、動画は、写真や動画といったメディア、さらにはサムネイル作成なども行うため、やることは音声編集の比ではありません。

 

さらに時間がかかってしまうことから、楽しさよりも準備や編集の大変さが勝ってしまいました。

 

そういった経緯から、Youtube での配信は失敗、という形になりました。

 

原点に立ち返る:なぜ、カフェ巡りを綴りたいのか?

僕はなぜ、カフェ巡り、ひいてはコーヒーが好きになったのはなぜでしょう?

 

学生時代。よく通った喫茶店で出会った、さまざまな人との交流。

社会人。初めて暮らした街で出会った、衝撃的な旨さの水出しコーヒー。

はじめてのスイス旅行。氷河の見える山頂カフェで飲んだ、温かいコーヒー。

コロナ禍。おうち時間を楽しむために買い回ったコーヒー豆。

 

そして現在。カフェを通じて花開く、たくさんの人との会話。

 

カフェやコーヒーだけでなく、そこには記憶に残る思い出や、いろんな出会いがありました。

 

ここから、新しい note で表現したいモットー、「一杯の記憶を、絵葉書のように。」に繋がっていきます。

 

僕は、コーヒーが大好きです。

SNSやショート動画でカフェ紹介ができるこの時代に、
万年筆で思いをしたためた絵葉書のように、
コーヒーやカフェの素晴らしさを届けたくなりました。


遠い国で過ごす、昔からの友人にむけて。

街角のコーヒータイムを、優しく鮮やかな、活きたことばで届けてみたいー。

・・・そんな思いから、限られた写真・文字の中で、一杯の記憶を絵葉書を綴るように書き記していきたいと思います。

あの街カフェ「一杯の記憶を、絵葉書のように。」より

 

新しく立ち上げたブログのコンセプトは、上記の通り、旧知の友人から届く絵葉書です。

 

短い言葉で自分の想いをしたためること、を第一に置きます。

 

だからこそ、記事自体は短いですが、きちんと「優しく鮮やかな、生きたことば」を選ぶようにしていきたいと思っています。

 

 

逆を返すと、こちらのブログは変わりません笑

 

こちらのブログは、徒然草、です。

 

書きたいことを、書きたい時に、書きたいだけ、書きたいようにー。

 

これはこれで、ブログを長く・そして楽しく書き続ける上で、自分が大事にしたいモットーです。

 

どちらのブログも "生きた文章" を書くことには変わりありませんが、自分にとって相反する、2つのモットーを分けた形です(こちらのブログは内容も幅広で、ジャングルみたいですしね笑)。

 

こちらのブログでの記事の長さや内容、投稿日には、幅もムラがありますが、決して辞めるつもりはないので、ご安心?ください(はてなブログ」での書き始めから、10年続いてるので、書くことはライフワークの趣味なのだと思います笑

 

北欧の旅行記とか完結させたいし、まだまだ興味は尽きないので、これからも色々書いていきます!

 

・・・長くなりましたが、そういったわけで、新しくブログを立ち上げた、と言うことになります。

 

まとめ

  • 新しいカフェ巡りの note を立ち上げました。

  • 一杯の記憶を、絵葉書のように。」に綴っていきますので、興味がありましたら、ぜひフォローいただけると嬉しいです。

  • こちらのブログはこれまで通り、楽しく続けます!(重要)

 

ということで、新・「あの街カフェ」、よろしくお願いします!

鬼を祀る神社が気になったので、行ってみた【青森・弘前】

 

みなさんは、、と言えば、どんな鬼を浮かべるでしょうか?

 

桃太郎に出てくる、鬼ヶ島に潜む鬼たち。

 

鬼滅の刃に出てくる、かつての人が姿を変えた鬼たち。

 

鬼がモチーフの物語や作品は数多くありますが、その多くが悪役として描かれることが多いと思います。

 

一方で、優しい鬼が祀られる神社があることをご存知でしょうか?

 

今回は、そんな鬼を祀る神社に見に行ってきたので、残しておこうと思います。

 

 

鬼神社(きじんじゃ)

鬼を祀る神社、鬼神社(きじんじゃ)は、青森県弘前市鬼沢に実在する神社です。

 

弘前市のHPの鬼神伝説を要約すると、以下のようになります。

 

昔、弥十郎という農民が、岩木山で鬼と親しくなり、相撲で遊んでいました。

 

ある時に、弥十郎は水田を作りましたが、水がすぐに枯れてしまうので困っていました。その話を聞いた鬼が上流の沢から堰を作って、水を引いてくれました。

 

村人はこれによろこんで鬼に感謝をしましたが、鬼のことを言わないように約束していたことを弥十郎の妻が破ってしまいました。

 

鬼は、堰を作る時に使った鍬と蓑笠を置いてさってしまい、二度と姿を見せなくなってしまいました。

 

この道具を持ち帰り、祀ったのが鬼神社の始まり、とのことです。

www.city.hirosaki.aomori.jp

 

この伝説を知り、まず思ったのが、鬼が人と親しいことがあるんだ、という驚きです。

 

人と鬼は対立関係で描かれることが多かったり、助けてくれるのは、別の怪異(例えばアマビエとか)だったりするわけですが、このお話では、鬼が人に親しくし、助けてくれます。

 

その鬼を祀ろう、というのも面白いです。

 

鬼に会いに行く

たまたま、東北を旅行するタイミングがあり、せっかくなので鬼神社に行ってみることにしました。

 

鬼神社には、弘前駅から路線バスで行くことができます。

 

やってきたバスはマイクロバス

 

温泉ホテルが駅前まで迎えにきてくれる、あのバスです。

 

 

普通の路線バスのため、最初は弘前の街中を抜けていきます。

 

街を抜けると、美しい岩木山の稜線黄金色の田園風景

 

岩木山に近づくにつれ、起伏に富んだ地形へと変わり、左右にはりんご畑が広がっていきます。

 

乗車から約45分。目的のバス停、鬼沢に到着です。

 

鬼沢のバス停。山間の集落といった感じ

 

昔からの、立派な住宅もちらほらあり、近くには郵便局や学校がありました。

 

鬼神社までは歩いて5分ほど。

 

胸が高鳴ります。

 

昔からの住宅地を歩いていく

 

奥のほうに、林が見えてくると、鬼神社はすぐそこです。

 

鬼神社に到着

立派な鳥居が出迎えます

 

見事な朱色の鳥居が、日差しによって色濃く影を浮かび上がらせています。

 

鳥居正面

 

写真を見てお気づきになるかもしれませんが、「鬼」の漢字が、通常のものとは異なります。

 

「ツノ」がないのです。

 

漢字の一画目に当たる「ノ」の部分がないのは、ツノのない優しい鬼であるということを表している、とのことでした。

waknot.com

 

境内

 

境内は管理されていますが、ものすごく静かです。

 

秋の始まりに伺いましたが、木漏れ日と涼しいそよ風がとても気持ちよかったです。

 

一歩一歩拝殿へと足を進めます。

 

拝殿上方。同様に「ツノ」のない扁額

鬼が用水路を作る際に使ったとされる鉄製の農具も奉納されていた。

 

鉄製の農具の奉納年月には、昭和9年と記載されており、少なくとも約90年前の農具であることがわかります。

 

境内には、狛犬や馬、魚などの石碑もあった

 

厳かで、素敵な雰囲気の神社でした。

 

自分の目で見に行くことの大切さ

お祭りの際に行ったわけではなく、拝殿の内部などは見ていませんが、こうして実物を見に行くと、やっぱり印象は変わるものですね。

 

鬼を祀る、という変わった神社だからこその独特の雰囲気がある、というよりは、地域にある神社と同じように、穏やかに佇んでいる、地域で大切にされている神社という印象を受けました。

 

 

また、ご利益を求めたり、観光目的ではなく、神社の由来・伝承などに興味を持ち、神社に訪問することは今回が初めてで、神社仏閣を訪れるときの見方や考え方も、少し変わった気がしました。

 

自分や、多くの日本人にとっての宗教や民間信仰への距離感は特殊で、お地蔵さんのように、その土地で大切にされているものや場所への敬意があったり、年末年始や観光での自社仏閣への来訪はあるものの、ひとたび、自身の日常生活と近接したり、普段目にしない儀式・伝承めいたものを目撃すると忌避することが多いと思います。

 

自分の考えとは異なる、という価値観を持ちつつも、こういった信仰・伝承が残る背景を知ることは、その土地の暮らしや生きるための知恵を垣間見ることにつながるのだなと、改めて思いました。

 

今回の鬼神社での伝説も、きっと、飢饉で大変だった時代の苦労や、生き抜くために力を合わせてきた人々の教訓も含まれているはずなので、そういった伝承・信仰の背景にも目を向けていくと、さらに気づきや学びがあるだろうなと思いました。

 

路線バスの時間の都合上、1時間程度の滞在となりましたが、よい訪問になりました。

 

近くの鬼沢郵便局
帰りは隣の下鬼沢からバスに乗車しました

 

まとめ

きっかけは、地方に残る、変わった神社を知ったことでしたが、実際に訪れてみると、大切にされてきた理由や、その地の暮らしとのつながり、といった、伝承の背景にも目が向きました。

 

さまざまな事象が科学的に解明され、食糧難に苦しむことが減った現代。

 

この時代では、新たな鬼の説話が出てきたとしても、創作の域を超えることはないでしょう。

 

そんな時代でもなお、こうして連綿と続く伝承から、「その地を生きていた人たちが残したかったこと」や、「優しかった鬼の痕跡」にロマンを見出せる余白は、あり続けて欲しいものだなと思いました。

旧市街・ガラムスタンで、魅惑のランチを【北欧 カフェ巡り旅行 その9】

 

みなさんこんにちは。

 

今回は、前回に引き続きまして、北欧旅行・現地3日目

 

旧市街(オールドタウン)・ガラムスタン での様子をお届けします。

 

前回はこちら

 

heat02zero.hatenablog.com

 

 

ガラムスタン とは?

マップより。今回の移動範囲( https://www.redsightseeing.com/media/qfdj1j1q/stockholm-map-2022.pdf )

 

ガラムスタンは、ストックホルム中央駅からほど近いコンパクトな島(スターズホルメン島)で、1時間ほどで回ることができます。

 

市の旧市街で、石段の敷き詰められた、迷路のような道と、17~18 世紀のカラフルな建物がひしめきあっています。

 

青い空にカラフルな街並みが映えます。

 

ガラムスタンで有名な観光地といえば、ストックホルム大聖堂に、国王の公邸であるストックホルム宮殿ノーベル博物館(旧ストックホルム証券取引所などが挙げられます。

 

今回の旅でも、いくつかの観光地をまわりました。

 

まずは、この旅の目的である、カフェに向かいます。

 

CAFFELLINI

旧市街の通りにあるエスプレッソバーです。

 

たくさんの観光客の群れを縫って、たどり着きました。

 

店内。街角のこじんまりしたコーヒースタンドといった感じですが、味は本物。

 

コーヒーの、いい香りが立ち上がってきます。

 

アイスカフェラテ と クロワッサン(88クローナ・当時)

 

もはや、今回の旅の定番となってしまった、アイスカフェラテに、

チョコのフレークがかかった、サクサクのクロワッサン

一口頬張ると、クロワッサンの中にもチョコレートが。

美味しすぎる!

 

立ち食いスタイルです

 

クロワッサンのチョコレートの甘さに、カフェラテのコクがベストマッチ。

ヨーロッパのカフェって、何でこんなにカフェラテとクロワッサンが美味しいんでしょうね…。

また行きたくなるお店になりました。

 

スウェーデン名物、ミートボールを食べにいこう!

 

スウェーデンといえば、ミートボール

 

特徴としては、ブラウンのグレービーソースに、プレートには、ポテトリンゴンベリー(コケモモ)、きゅうりのピクルスが添えられています。

 

ミートボール自体も、家庭ごとに味が異なり、牛肉で作るものもあれば、ヘラジカの肉で作るものもあるとのこと。

hokuokocha.jp

mjuk.swedenhouse.co.jp

 

ランチタイムということで、今回は、旧市街の通りにあるビストロカフェ Café Kronan に行ってみました。

 

Café Kronan

いい天気なのでテラス席にしました。

ランチメニュー

スウェーデンミートボール(135クローナ・当時)

 

…めちゃくちゃ美味しそう。

ミートボールは、程よくスパイシーで、ソースやポテトともよく合います。

付け合わせのベリーの甘酸っぱさも、口直しにぴったりです。

 

ああ、はるばるスウェーデンに来たんだなぁ…。

異国の味付け・ミートボールの旨みと噛み締めながら、スウェーデンに来たことを実感します。

 

食後のコーヒー。あたたまる…。

テラス席からの眺め

 

ガラムスタンの街角を眺めながら、絶品ランチを堪能できる、すてきなお店でした!

 

ガラムスタンの街を歩こう!

 

ランチを満喫したので、ガラムスタンの街を散策します。

 

古き良きヨーロッパの街並み
裏通りに入ると、小洒落た雰囲気。明るくて、圧迫感がない

かと思えば、ふいに小さな広場が現れたり…

ストックホルム大聖堂が突然現れたり…

 

次々に変わっていく街の様子が、とても楽しめます。

 

石段の街並みで写真を撮ろう!

ほんとに絵になる街で、たくさん写真を撮りました。

せっかくなので縦長の写真も載せておきます。

 

 

澄んだ青い空。

 

街並みに差し込む日差し。

 

温かみのある裏通り。

 

雑多で賑やかな看板。

 

ガラムスタンを構成する、全てが揃っているように思えます。

 

 

小さな島。狭い路地。

 

それでも、緩い石段の坂と、柔らかに弧を描く街並みがあったりして、

 

街の立体感を感じ取ることができます。

 

光差し込む、未知なる街並みの先

 

明るい期待感が、なんだか素敵に感じられます。

 

次の目的地へ

縦横無尽な街並みと路地を彷徨いつつ、次の目的地に向かいます。

急に出現する、ひらけた広場が、目的地の目印です。

 

ストックホルム宮殿

 

次回、ストックホルム宮殿編に続きます。

 

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継続投稿のモチベーションになっています。ありがとうございます

 

 

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(余談)そういえば、かもめ食堂、閉店しちゃうみたいですね…かなしい

 

news.yahoo.co.jp

 

腹痛は "人間らしさ" の最後の砦か? ~腹痛表現の過去と未来~

 

先日、急性胃腸炎でダウンしまして、まさに「地獄に落ちた」としか言いようのない時間でした。

 

初日は38度近い発熱に加え、胃腸に稲妻が走るような突き刺す痛みが周期的に襲ってきました。そこからは、内側から切り裂かれるような苦痛と、トイレとの往復を繰り返す日々。悪寒に震えながら毛布にくるまって眠れば、今度は灼熱地獄…。汗だくで目を覚まします。

 

そんな、地獄の5日間を過ごしてしまいました。

 

 

腸炎といえば、3年前に配信していた、Podcastの「シーズン1」でも「トイレで神に祈りたい人たち」というエピソードをお話ししました。

 

なんでこんな酷い目に遭うのか

 

勘弁してください

 

助けてください

 

万策尽きた最後、トイレで祈るしかないのです。

 

 

・・・そんな地獄の中、祈る神様は誰で、腹痛の神はいるのか?

 

というのが気になって、当時調べたのですが、

 

なんと、腹痛の神様が祀られた神社が京都にあるようでした。

 

 

数年ぶりの地獄をみた今回ー。

 

今回は視点を変えて、「昔の人は腹痛をどう表現し、何と残してきたのか」を少し調べてみました。

 

 

 

昔の人たちの「腹痛」表現は?

現代、腹痛の要因は、医学的に(ほぼ)解明されています。

ja.wikipedia.org

しかしながら、昔はそうではありません。

 

病的なものだけでなく、精神的なものが原因とされることもあり、鬼や怪異の類が悪さをもたらしている、と信じられていたこともあったはずです。

 

そんな時代の腹痛は表現は、どのように残されているのでしょうか?

 

まずは、平安時代から調べてみることにしました。

 

なぜ、平安時代からにしたかと言いますと、腹痛を表現するには、ある程度文学的要素を孕むと思ったので、そういった文学的なものが発達した時代からでないと文字として残っていないんじゃないか、と考えたんですよね。

 

そういったわけで、時を遡る形で、簡単に調べてみました。

 

 

平安時代

医療書『医心方』には「内臓に陰陽の気がたまり腫瘤となり、さまざまな病状を発する」と記されており、病状は陰陽説で説明されていました。

 

今昔物語集』巻十七第四十四話 「美少年に化けて僧に近づいた女の話」では、僧が童(わらは)に「童(わらわ)は腹痛を訴えはじめました」と平易に記されています。

 

しかしながら、このお話における腹痛は、腹下しではなく、妊娠の陣痛のことを指しているようでした。

 

お話も読んだんですが、なかなかこの時代から攻めた話だなぁ、という印象を受けました。解説も読みましたが、僧侶と性のかたち、というのは、この時代でも色々あったのですね。

hon-yak.net

 

鎌倉時代

下腹部痛は「せんき」と呼ばれていました。

 

疝気の虫」という言葉も使われ、腹の中の虫が痛みを起こすと考えられていました。

 

古典落語の演目にも、「疝気の虫」という有名なものがあり、あの春とヒコーキの土岡さんが疝気の虫を披露している動画があったりします。

 

 

、という表現は、現代のアニサキスなどの寄生虫による腹痛と、通ずる部分があるので、しっくりくる部分があります。

 

自分は海産物で当たったことがないのですが、それはもう地獄だと聞いたことあります。

 

南北朝室町時代

引き続き「せんき」という語が使われ、病気を虫にたとえる表現が主流でした。

 

曾我物語」にも、「居易(きょい)がせんき思ひ出でられたり」(=居易が腹痛を思い出した)といった用例があるようです。

kotobank.jp

 

また、中国の処方集「和剤局方(わざいきょくほう)」の伝来により、薬が安価に製造できるようになったことから、この時代では、民間薬が多く現れました。

そのうちの一つに、下痢を含めた万病に効く豊心丹(ほうしんたん)があったようです。

www.chugai-pharm.co.jp

 

戦国時代

戦国時代の永禄11(1568)年の「針聞書(はりききがき)」には、お腹の中の虫が描かれています。


人の体内で悪さして、さまざまな病気の原因になると考えられていました。

intojapanwaraku.com

 

江戸時代

最も「」がいると言われたのは江戸時代とのことです。

 

子供の夜泣きすら、虫のせいとされていました。

lidea.today

 

江戸時代では、信仰の力が弱まったことから、精神的なものとして宗教家が加持祈祷で治療することから、医学による治療になってきたようです。

 

実態のある「虫」であれば、医療対象となるため、医者が「病原は腹の虫」といった説を唱えたとのこと。

 

道教に由来する大変ユニ-クな虫を描いた江戸期の写本「五臟之守護并虫之図」では、五臓六腑を襲う虫が描かれています。

 

加えて、18世紀以降の顕微鏡の普及により、寄生虫研究も進展したようです。

https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/igaku/exhibitions/2007/exhib5.htm

 

 

また、文学でも「腹痛」が出てきます。

 

浮世風呂(1810)では、「腹痛でづゞないはいな。それじゃさかい、風呂になど入て温めてこまそと思ふて…」という言葉があり、腹痛でどうしようもない、というような書き方がされているようです。

https://ocw.nagoya-u.jp/files/644/miyachi2016-3-1.pdf

 

東海道中膝栗毛(1802)では、「とめざるは宿を疝気としられたり 大きんたまの名ある戸塚に。」とあり、『宿に人を泊めないのは、戸塚では「疝気(せんき)」と呼ばれる』と訳されます。

 

疝気では、下の腸から陰部に向けて痛むことから、睾丸(=きんたま)が大きくなるとされており、金玉の大きい乞食が戸塚にいたことから、この発言とのことです。

 

何というか、すごい連想ゲームですね笑

 

 

ということで、平安〜江戸時代まで、簡単に調べてみました。

 

歴史学者でもなんでもない一般人ですので、調べが甘いですし、インターネット上のデジタル化された歴史書の範囲では、情報に限りがありましたが、虫に例えることは、幅広く使われていたみたいですね。

 

現代

現代では、X(旧Twitter)で「お腹痛い」と検索すると、1時間に100件以上の投稿が並びます。

 

現代においても、腹痛は、誰でも起こりゆる苦難の一つです。

 

この世の終わり

 

殴られ続けているみたい

 

ショットガンみたいな下痢をした

 

など、現代では様々な表現がされています。

 

 

(腹痛中の本人以外は)、共感できつつも、くすり、と笑えてしまう表現に、言語表現の豊かさを感じます。

 

誰でも自由に発言し、記録できる現代において、SNSは腹痛表現の進化の最前線でもあるのかもしれません。

 

腹痛を理解できない存在 ― AIとロボット

 

では、未来はどうでしょうか?

 

もし、AIやロボット、アンドロイドが社会の支配者になったとしたら?

 

彼らには胃腸がありません。

 

 

痛みを「数値」として解析することはできても、「雷が落ちたようだ」「腸が燃え盛るようだ」といった比喩を、実感をもって生み出すことができるのでしょうか?

 

腹痛は、人間という“有機体”を前提にした体験であり、機械には(物理的に)理解不可能な領域であるからです。

 

比喩表現の乖離

未来社会では、人間とAI(アンドロイド)に表現の断絶が生まれるかもしれません。

 

人間たちは、相変わらず、腹痛をこう表現するかもしれません。

 

腹を殴られ続けているみたいだ

 

腸中を雷鳴が駆けているようだ

 

しかし、AIたちが返すのはこうです。

 

システムリソースに過剰負荷が発生しています


腹部ユニットに動作エラーが発生しています

 

つまり、同じ部分の“異常”を表現しているはずなのに、その比喩はまったく噛み合わない。

 

そこにあるのは「痛みを体験できる存在」と「できない存在」の乖離です。

 

腹痛と文学の未来

この乖離は文学にも影響するでしょう。

 

もし、AI読者のための文学を出力する、AI作家が主流になれば、作品の中から腹痛表現は消えるでしょう。

 

なぜなら、彼らには理解・共感するための身体的基盤がないからです。

 

過去・現代では、虫や雷、刃物といった生きた比喩で痛みを描きましたが、試しに、AIを使って腹痛を表現させてみると、

 

メモリリークのように増殖する不安

 

サーバー障害のように崩れる愛

 

という、無機質な表現が返ってきました。

 

そう考えると、(そもそもAIが文学を嗜好品のように味わうようになるのかは不明ですが)人間の文学AIの文学は、「有機物的体験表現を持つ言語」と「持たない言語」という二つの系統に分岐していくかもしれません。

 

腹痛は人間らしさの最後の砦か?

考えてみれば、腹痛は "ただの不幸" ではありません。

 

体験中の人間からしたら、考えている余裕すらないですが、腹痛とは「人間の身体性」を鮮やかに思い出させる瞬間であり、同時に文学や比喩を生む土壌でもあります。

 

未来、もしAIやロボットが社会の大部分を担うようになったとしても、「腹痛を理解できるかどうか」が、人間と機械を分ける最後の境界線になるのかもしれません。

 

理不尽で、どうしようもない。

 

けれど確かに「人間らしい」もの。

 

腹痛とは、時代が進んでも消えない、人間存在そのもののメタファーなのです。

 

 

・・・そんな人間らしさを象徴する腹痛表現ですが、今回、筆者が地獄のような腹痛に悩まされ、産み出した表現は、以下の通りです。

 

飼いたくもないのに 腸にサラマンドラ燃ゆるー

 

 

 

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歴史の主役ではない「石」が語る、時代を超えた "強者との出会い"

 

学校の歴史教科書に載っているような、時代の主役たち。

 

たとえば、平安時代の『枕草子』や『源氏物語』。

 

それらももちろん面白いのですが、個人的には、もっと素朴で、土地に根ざした物語に心惹かれます。

 

 

柳田国男の『遠野物語』のような、民話や伝承

 

(ほとんど)名もなき人々の、生きた痕跡が、ひっそりと残されている。

 

そんな文化の余白に、僕は魅力を感じます。

 

 

今回は、ある "" について、感じたことを残しておきます。

 

 

力石(ちからいし)

ある日、関西の名物番組『探偵ナイトスクープ』を観ていたとき、ふと、心を掴まれたものがありました。

 

それが「力石(ちからいし)」という存在です。

 

 

全国各地の神社や歴史的な場所に鎮座している、大きな丸石。

 

それらはかつて、祭りや成人儀礼の場で、人々が力を競うために持ち上げていたというもの。

 

今なお、各地にその姿を残しています。

 

 

番組の依頼は、「神社にある重さ約250kgの力石を、誰かが持ち上げるところを見たい」というものでした。

 

youtu.be

 

番組で登場したのが「どすこい坂本」さん。

 

なんと彼は、これまでに全国の力石を巡って300個以上の力石を持ち上げてきた猛者で、そのパワーで、他の挑戦者が太刀打ちできなかった約250kgの石を、見事持ち上げることに成功しました。

 

石に刻まれた、力の記憶

この力石が面白いのは、単なる石ではないという点です。

 

過去、その石を持ち上げた人々の名前や住所が、石に刻まれていることがあるのです。

 

たとえば「石の平蔵」と呼ばれた人物は、江戸時代末期に関東の29個もの力石にその名を残しています。

 

これって面白いなって思ったんですよね。

 

 

歴史のメインストリームではないが、その時代を生きていた痕跡が石という形で、それも各地に残っているー

 

これぞ、土地に根ざした物語と言っても過言ではないでしょう。

 

 

人はなぜ、石を持ち上げたのか?

力石の起源は明確ではないものの、江戸時代以降に力比べの民俗行事として盛んになったと考えられているようです。

 

以下のような理由で、人は石を持ち上げていたと考えられています。

  • 石には神霊が宿るとされ、祭事と結びついていた

  • 労働の主力が人力だった時代、体力は何よりも価値があった

  • 力を示すことが、娯楽であり、名誉でもあった

 

記録として残っているものでは、古いもので、1664年、東京都江東区の神社に残るものだとか…。

 

今も岡山などでは、力石を使った大会が開かれているようですが、一方で、みなさんの身近の神社や公園などには、ひっそりと苔むしている力石もあったりします。

 

 

「力」の記録がハードに刻まれる時代

特に、力石がロマンを感じさせる理由は、数百年の時を超えて、かつてのストロングマンと対決できるという点にあります。

 

数百年前の人物と、現代の人が同じ石に挑み、記録を残す。

 

そんな「共通のハードウェア」を介して、時代を超えたつながりが成立している。

 

それがとても面白く、嬉しく感じました。

 

 

ソフトな記憶の脆さと、ハードの強さ

一方で、現代の記録や功績、特にソフトに記録されたものは、とても儚いものに思えてきます。

 

一例として…

  • SNSやインターネットの文化は、プラットフォームの都合で一瞬で消し去られてしまう

  • 生成AIによる、webへの無限の情報供給が、かつての「洒落にならない怖い話」のような、嘘か誠か分からない余白を楽しむコンテンツを、すべてファンタジーに変えてしまった

  • ネットで何かを残したり、ブームを起こしても、消費スピードが早すぎて、あっという間に忘れられてしまう(今年前半のネットミーム、みなさんは、いくつ覚えられていますか?)

 

そう考えると、何かを残したいなら、ソフトウェアよりもハードウェアなのではないか。そんな思いが浮かんできます。

 

 

2100年、廃神社で。

たとえば2100年

 

日本の人口が今の半分に減少してしまった時代。

 

過疎化が進み、かつて人里であった街の廃神社。

 

夏草の生い茂る境内をかき分けていくと、苔に覆われた大きな丸石がある。

 

蝉のさざめく中、明らかな人工物の苔玉の切れ間に目をやると、明らかに人の手によって刻まれた文字を見つける。

 

力石、250キロ。18XX年X月、○○。
          2025年8月、△△。

 

300年前、そして75年前、「2人のストロングマンが、この石を担ぎ上げた者がいた」という刻印が残されていたー。

 

 

…ソフトな情報であふれる、この「一億総クリエイター時代」に、「残す」ためには、何ができるだろうか。

 

今一度、考え直してみる必要があるのかもしれません。

 

参考

江戸時代にブームになった「力石」というナゾの遊び 江戸時代に流行った石を持ち上げるだけの遊び「力石」。ブームの痕跡をたどった。 (榎並紀行) dailyportalz.jp  
 

ラーメン とは、 ジェットコースター であった

 

みなさんは、ラーメン、お好きですか?

 

今回は、おいしかったラーメンのことと、そこで感じたことを残しておきたいと思います。

 

 

中華そば ふじい

以前から、気になっていたラーメン屋さんがあったんです。

 

東京・新中野駅のそばにある「中華そば ふじい」というお店です。

 
昔懐かし昭和の味「中華そば ふじい」 昔懐かし昭和の味 大阪市浪速区塩草「中華そば ふじい」 www.ra-men.co  

 

中華そば ふじい は、大阪のラーメン屋さんで、東京で唯一出店しているのが、新中野ということでした。

 

芸人のYoutubeでも紹介されるほどの人気店のようで、昔懐かしい味わいでありながらも、丁寧で深みのある絶品のスープは、ファンの心を掴んで離さないようです。

 

自分が気になっていたのは、そのビジュアルにあります。

 

少し黒味がかったスープに、背脂と青ネギ。

 

脂身と肉がそそるチャーシューに、程よい厚みのメンマ。

 

そして、よく見る、龍が舞い踊るどんぶり。

 

京都ラーメン尾道ラーメンのような見た目や味わいが好きでして、その美しさ(※ 好きなラーメンのトッピングと見た目という意味)に、いつか行ってみたいと考えていたお店のひとつでした。

 

さらには、チャーハンのビジュアル

 

これも最高でして、後述の写真にもありますが、理想的な中華そば屋の炒飯の形をしています

 

…これはもう、行くしかない!

7月初旬。意を決して、現地へと向かいました。

 

いざ、 中華そば ふじい へ!

新中野駅から歩いて5分ほどのところにあります。

 

この日も、うだる夏の暑さ。

 

強い日差しと、モワモワした空気が漂う、令和の夏模様です。

こんなの、外で待ってられないよ…と思いながら、お店に向かいます。

 

お店の前に到着すると、なんと、誰も並んでいないではないですか!

…もしかして、空いてる時間帯?

しかし、その浮ついた気持ちは、すぐに打ち砕かれました。

 

お店の前に備え付けられたタブレット付き発券機に表示されていたのは、なんと、2時間待ちの文字。

…ウッソだろ!?

覚悟を決め、「発券」ボタンに手をかけました。

 

待ちに待った入店!

近くのカフェで時間を潰しまして、いよいよ、呼び出し5分前

高まる期待を胸に、店に向かいます。

 

「○○番の方!」

すぐに呼び出され、涼しい店内と誘われます。

 

鍋をふるう音。わずかに感じる、油と香ばしい香り。

いよいよ、待ちに待った「チャーハン定食」とのご対面です。

 

チャーハン定食(中華そば・チャーハン)

 

これはもう、食べる前から優勝です。

なんですか、この完璧な見た目は!

脊髄反射で、箸に手が伸びます。

 

うますぎて箸が止まらない。レンゲも止まらない。

 

ドストライクの味。うまい…うますぎる。

口に運ぶたびに、快感物質が脳内を駆け巡り、心も胃袋も満たされていきます。

生きててよかったぁ…。

ひたいの汗を拭いながら、ラーメンとチャーハンをかっくらっていきます。

 

満足感と哀愁のデジャヴ

あれだけ長い時間待ったのに、終わりが来るのはあっという間です。

10分も経たずに完食してしまい、退店しました。

 

「ご馳走様でした」の後、お店を出た瞬間のことです。

満足感と哀愁に包まれます。

 

…これって、どこかで感じたことがある感覚だ。

そうだ、ジェットコースターだ。

 

長い待ち行列の時間の果て。

コースターでギリギリまで溜め込む、落下の恐怖と位置エネルギー

刹那。落下によって放たれる鼓動と興奮の爆発は、風と共に駆け巡り、一瞬にして乗り場に戻ってきてしまう。

「楽しかったなぁ。でもあっという間だなぁ」

コースターを降りた時に感じる、あの「哀愁」だ。

 

味への期待を膨らませながら、長時間、入店を待ちわび、

ラーメンと対峙する際には、溢れ出すうまみが脳内に駆け抜けていく。

そして、瞬く間に空になるどんぶりと、店を去る時の満足感と哀愁ー。

 

ラーメンとは、食のジェットコースターなのかもしれないー。

 

美味しいラーメンは、単なる食事を超えた体験を与えてくれるものなのかもしれません。

 

そんなことを思いながら、吹き出す汗を拭った、炎天下の夏のひとときでした。