僕はまた、旅に出る。

僕はまた、旅に出る。

"書くこと"を1週間続けると、どうなった?(経過報告・記事解説)

今月は、できる限り毎日更新をやることにしました

 

 

heat02zero.hatenablog.com

 

更新を始めて、約1週間(連続記録で言うと、10日)が経過したので、経過報告&投稿記事の解説です。

 

更新した記事内容

途切れた夏。甦れ、夏と思い出

 

 

heat02zero.hatenablog.com

 

2年ぶりの夏(がくるよてだったので)、夏のイベントを書き出して、夏を思い出してみる話

 

神チャーハンを求めて

 

 

heat02zero.hatenablog.com

 

神チャーハンを求めて、1日で3件回った話。

 

「このバスはどっちから乗るんだ?」問題を考えてみる

 

 

heat02zero.hatenablog.com

 

前乗りか、後ろ乗りか。各地で違いがあるので、それぞれのメリットを考えてみた話。

 

墓参りと、生者の”親近感”、死者の”孤独感”

 

 

heat02zero.hatenablog.com

 

日本の墓参りと、海外の墓参りに見る、生者側、死者側の感じ方について考えてみた話。

 

6面揃う、3手前の神秘性

 

 

heat02zero.hatenablog.com

 

 

ルービックキューブを揃えられるようになって感じた、「できた!」の神秘性について書いてみた。

 

額縁に収めたい世界があるとするのなら

 

 

heat02zero.hatenablog.com

 

小説。

砂楼の一画で見つけた美術シェルターは、額縁だけが展示された奇妙な室内だった。

「…アナタハ、ガクブチガ、ナンノタメニアルト、オモイマスカ?」

案内ロボットに問われた主人公が導き出した答えは?

 

鴛鴦茶って知ってる?

 

 

heat02zero.hatenablog.com

 

コーヒーと紅茶混ざったお茶、鴛鴦茶についてと、美味しく作る方法を考えた話

 

簡単な記事解説・補足

途切れた夏。甦れ、夏と思い出

家から出ないし、マスク生活が続くと、五感を通じて楽しんできた四季がよくわからなくなってしまいます。

マスク生活になる前は、香りを通じて感じていた四季もあったはずです。

まだしばらく、人混みではマスクを外すことは避けることが望ましいかと思いますが、失われていた四季を、色んな感覚やイベントを通じて、思い出して行きたいなと思っています。

神チャーハンを求めて

どのチャーハンも本当においしかった。並ぶのも納得でした。次は、他の料理も食べてみたいですね。

時間の都合上、2時間おきに(お肉と油たっぷり)大盛りチャーハンを食べるのは結構大変だったので、チャーハンの食べ回りをする方は、お腹の休憩タイムをお忘れなく。

「このバスはどっちから乗るんだ?」問題を考えてみる

旅行に行くと、大体この問題にぶち当たるなと思ったのがきっかけで書きました。

ローカルルールの真髄かもしれませんね。

特に、古いバスを大事に使っている路線では、”小銭がない!”となりかねないので、電子マネー中心の生活に住んでいる人にはトラップになりかねませんよね。

墓参りと、生者の”親近感”、死者の”孤独感”

民俗学、文化的にお墓の違いを見るとおもしろいなと思います。

日本の中だけでも、地域や年代によって、墓石の石の種類に違いがあったり、卒塔婆を立てたり、立てなかったり。お墓の前で花火をする文化すらあります。

海外では、鮮やかな花を飾っていたり、スイスで見た登山家の墓では、その人の身につけていたピッケルなどの登山道具を飾っていたりしました。

まだまだ年齢的には若いということもあり、こう言ったものに対する忌避感というか、なるべく目を向けないようにしていましたが(引っ張られるんじゃないかという不安や、辛い思い出が想起されるから考えたくない)、それを切り離した時、当たり前のように行われてきた埋葬という営みが、どういうものなのか、ということを少し考えることができた気がします。

6面揃う、3手前の神秘性

大人になるにつれてできることが増えると、薄れていく感動や感性ってありますよね。自分で言うと、移動距離なんかがそれに当たるのかなと思ったりします。中学生や高校生の頃は、学校と自宅の間の空間が、自分にとっての”世界"でしたが、いまや、一人で海外旅行に行ったりすることができるようになると、身近な”世界”への感動が薄れてしまっているような気がします。

自分の感動センサーをリセットする意味でも、身近なものに感じる感動や感性を大切にしたいですね。

額縁に収めたい世界があるとするのなら

小説の記事では、解説を書きませんでした。理由は、解説があると、読後の余韻から急に冷めてしまうので、趣がないなと思ったからです。

美術鑑賞などに行かれる方が多いかと思いますが、皆さんは、額縁を意識してみた経験ってありますでしょうか?

作品展示の際に、額縁を選んでいる方が絶対にいて、絵画などの作品に違和感なくフィットさせられているからこそ、目が向かないようになっているのだと思います。

一方で、作品鑑賞の際に、絵画などに人それぞれが感じる、”あの印象”には、絶対に影響を与えていて、縁の下の力持ち的な存在だなと思っています。

作品に対するフィットという、脇役の立ち位置であることが多い、額縁ですが、額縁だって、職人の手による作品ですから、もっとフォーカスされてもいいんじゃないかと、と思って小説を書いてみました。

最後の結末は、”粋”、を感じられて、自分自身は好きです。この館長が、管理していた生前の美術シェルターはどんな雰囲気だったのでしょうか。そんな遠い過去の余韻を残しつつ、仕上がった作品になりました。

鴛鴦茶って知ってる?

今回の話で思い出したのですが、台湾はとにかく飲み物がデカかったなと思いました。飲み物を買うと、持ち運び用のビニール袋が必ず付いてきました。

酷暑が続きますが、みなさんも、水分補給をお忘れなく。

まとめ

・書き溜めしすぎると、鮮度の高い記事とは言えないので、なるべく、1日前とか直前に書くようにしていますが、なかなかハードですね。

・一方で、書き始めると、書こうと思っていた以上のことも出てくるので、自分の考えの整理にもなっているような気がします。

・引き続き、無理のない程度に書き進めていこうと思います。

直近の連休は動画作成と投稿をする予定です!

よろしければチャンネル登録等、応援していただけますと嬉しいです!

youtu.be

 

鴛鴦茶って知ってる?

 
「鴛鴦茶って知ってる?」
 
ってコーヒーとか紅茶の話の流れでした時に、知らない人が体感 98% だったので、書いてみようと思います。
 
鴛鴦茶
紅茶とコーヒーを混ぜた飲み物です。
自分が飲んだ鴛鴦茶は、単に二つが混ざっているのではなく、ミルクがコーヒーと紅茶の間を取り持っており、優しい甘さとそれぞれの角を丸めていて、とても美味しかったです。ミルクティーとカフェオレの美味しいどころとりをしたドリンクでした。
 

初めて飲んだのは、台湾の高雄。香りと風味を楽しむ飲み物を混ぜたら、おいしくならないのでは?という、期待せずに、好奇心のみで注文してみたのですが、飲んでみたら、とても美味しかった。
 
自分で作ると美味しくなるのか?
後日、家でも作ってみました。家にあった適当なコーヒー豆と、適当な紅茶で作ってみたのですが、最初のトライは、うーん、普通、という出来でした。単純にコーヒー、紅茶、牛乳を混ぜるだけではダメなようです。
やはり、バランス配分やブレンドする品種も重要なのかもしれないです。
 
カフェラテや、ミルクティーに使われる茶葉や、コーヒーの品種
軽く調べた感じだと、紅茶側を、渋味の少ない・フルーティー系にするとするなら、コーヒー側は、フルーティーさが際立つ浅煎りとか、エチオピアなど、コクの少ないものがいいかもしれないですね。
個性の強い紅茶・コーヒーの場合は、牛乳の比率を上げるといいかもしれないですね。
加えて、水出しコーヒーなど、熱を加えないことで、丸みを持たせるのも、必要な気がします。
 
 
美味しい鴛鴦茶の検証ができたら、また記事にしたいです。
 
サムネイルは、台湾・高雄にある 握珈琲(oh cafe) で注文した時のもの。
 
参考

www.karelcapek.co.jp

teaclub.jp

www.kohikobo.co.jp

額縁に収めたい世界があるとするのなら

 砂埃を巻き上げながら、愛機グリフィンは、かつて高層ビルだった砂楼の谷間をスイスイと駆け抜けていく。砂漠に沈んだ静かな都市の視界は澄み渡っている。しかしながら、防塵マスクを外すことはできない。大気に残留物質が残っているためだ。点在しながら直列する、廃高層ビル群の伸びる影と、天高く注ぎ込んでくる太陽の日差し。シマウマのような明暗が交互に視界をくらませる。
 
 手元のレーダーが赤く点滅し、仮想モニターに文字が浮かんだ。
【シェルター反応あり】
 
 ゆっくりと砂上に着陸し、モニターに従いながら、流砂と瓦礫の平野を歩いていく。巨大な鉄版が見つかった。周囲を見渡すと、入口らしき扉を発見し、表面の砂を払った。
 “美術シェルター”。かつて起こった大戦の際、文化財の保護目的で、世界の富豪たちの莫大な寄付によって美術館から美術品が搬送され、各地にシェルターとして設置されたものだ。中央政府を失った今、戦争の混乱で所在不明となっていた美術シェルターは、トレジャーハンターたちの獲物の一つとなっている。しかしながら、当時の富豪によって敷設された厳重なセキュリティーにより、解錠が難しい美術シェルターも多く、美術品のサルベージは容易ではないと聞く。
 大きく、扉の表面を払う。やはりか。何度も見たマーズ・ナイト社のロゴが描かれていた。モードはパブリック。誰でも、”美術会"の会員であれば入館できる設定になっていた。公立のマークが記載されていることから、このシェルターは地方政府の手によって保護されていたものであることがわかる。つまり、"ベナリザの斜像"のような国宝級の美術品はなく、地方の作家による展示品などが収蔵されているシェルターである可能性が高い。残念ながら、お宝を拝むことは出来なさそうだ。
 何かの縁だ。せっかくだし見ていこう。私は手元の美術会員チップをかざした。すると、高いデジタル開錠音とともに、扉が開く。
「お邪魔しまーす」
もう誰もいないことはわかっているのに、この癖は抜けない。手元の放射計、空気計ともに正常。私は防塵マスクを取る。足を踏み入れると、内部の照明が順々に灯っていった。
 立派な作りのエントランスは、多少の埃をかぶっているものの、今まで目にしてきた美術シェルターに比べれば、相当綺麗な部類だった。空気の澄んだ感じから、保湿装置や防虫・防獣装置が今も稼働を続けているようだ。
「えーっと順路は…」
誰もいないカウンター横の壁に設置された美術シェルター案内図を確認する。風化や変色により、全容を把握できていなかったが、1時間程度で回れそうな大きさであるようだ。
「コ、ゴゥゴゥゴゥ…」
 背後から鈍いモータ音が近づいてくる。室内用オートモービル…もしや、人? 私は念のため、胸元のレーザーガンに手をかけ、ゆっくりと振り返る。
「コンニチワ。ヨウコソ。パニヨン公立美術シェルターへ」
そこには、一回り小さいドラム缶のようなロボットがこちらを見上げていた。
「なーんだ。君か。びっくりしたな」
これは。図鑑でしか見たことがない、百十五年前のマーズ・ナイト社のアーリートゥエンティーシリーズの案内ロボットだ。よく壊れずに残っていたものだ。
「会員データヲ照合シタトコロ、ハジメテノ来館ノヨウデスネ。ゴ案内イタシマショウカ?」
「それはいいわね」
「”モード”ハ、ドウイタシマスカ?」
モード、というのは、マーズ・ナイト社の案内ロボット特有のもので、積極的に説明をするトークモード、案内だけして、適宜質問だけを受け付けてくれるリードモード、客の後ろについてきて、必要に応じて応対するスチュワードモードの三つがある。
「じゃあ、リードモードでお願い」
「ショウチイタシマシタ。キキタイコトガアッタトキ、ボク二ハナシカケテクダサイネ。ソレデハゴアンナイシマス」
「それはどもども」
 静寂。自分の足音、ロボのモータ音だけが、広い館内に響いている。壁に貼られた順路に従い、付いて行くと、この美術館の奇妙な点に気づいた。
“額縁"だけなのだ。本来飾られるはずの絵画や立体作品は存在せず、ただ、空白を囲うようにさまざまな額縁が展示されているだけなのだ。
「コチラハ、ロガンス・ビクトリオン作。閉じ込めの縁、デ、ゴザイマス」
額縁の面積が絵の十倍以上あり、絵を縮小したように飾ることができる額縁のようだ。もちろん。絵はなく、ただ、後ろの壁紙を額縁の内に映し出しているだけである。
 それからも、奇妙な額縁の展示は続いた。太いばらの立体的な額縁。黄金のライオンに絵が食われる形を模したライオン口の額縁。額縁の中に額縁がある、入れ子の額縁。絵の内側に額縁がある二重の丸型額縁。メビウスの輪と言われる古典的な図形を模した額縁や、扉サイズの巨大な額縁など、どれも重厚で見ごたえのある作りだった。さらに、数百年かけて成長するとされる樹木が額縁にあしらわれた生きた額縁など、見たこともない額縁が次から次と登場し、ロボによって紹介されていった。
 
 エントランスに戻ってくると、ロボが案内を終了した。
「以上デ、案内ハ、終了デス」
ロボは振り返り、私を見上げた。
「ありがとう」
私の言葉を聞いて、定位置に戻るのかと思ったが、ロボは立ち止まったままだった。
「どうかしたの?」
「…アナタハ、ガクブチガ、ナンノタメニアルト、オモイマスカ?」
「どうしてそんなことを尋ねる?」
そう言いつつも、内心は、さすが額縁の美術シェルター、変な対話エージェントプログラムを仕込んでいるなぁ、とも思った。
「館長ニ、尋ネルヨウ、言ワレテイルノデス」
やはり、人のいた頃の館長の影響だったか。
「変わった館長ね。…そうねぇ。絵に注目できるようにするため、とか、絵を引き立たせるため、とか。あとは美術品の保護のため、ってのが一般的な見解よね」
「ハイ。確カニ、データベースニモソウ書カレテイマス。デモ…」
「でも?」
「ワタシハ、アナタ自身ノカンガエガ、知リタイノデスヨ!」
ロボなのに、語気を荒げて両手を上下にふりふりする様子は、どこか愛らしくも不器用で、少し心がやわらぐ感覚を覚えた。
「私自身の考えねぇ…」
額縁が何のためにあるか、か。そんなこと、生まれて考えたこともなかった。小さい頃、わずかに集められた古書の挿絵として出てきた”名画"と呼ばれる絵画たち。主題を眺めたにすぎない私は、そもそも額縁というものを認識したのは、もっと後だったわけだし、額縁そのものを意識して見たことだって今回が初めてだ。そんな私に額縁の存在意義を尋ねられても、まともな答えなんて出ないんじゃないだろうか。自問自答する。よくよく考えてみたら、自分の意見を言う機会すら久しいのだ。そう考えると、何だか、心の底から、楽しいという感情が沸き起こってきた。
「ちょっと考えてみるね。もう一回回ってきていい?」
「ハイ。イッテラッシャイ!」
何だろう、ワクワクするこの感覚。私は少しの間、額縁について考えてみることにした。
 
「答ハデマシタカ?」
二巡目の額縁探訪を終えてエントランスに戻ってくると、私に気づいたロボはゆっくりと近づき、私を見上げて尋ねてきた。
「"この世界の美しさを、この世界から、自分の好きなように。そして、それぞれが感じたままに切り取って、宝物にするため”…、じゃないかしら」
いざ口に出してみると、なに小っ恥ずかしいことを言ってるんだ、と思ってしまった。でも、そう結論づけたのは、他でもない、ここにある額縁たちだった。
今まで、絵の装飾品、でしかなかった額縁は、どんな美術シェルターでも、絵画のためのものでしかなかった。でも、今日出会った額縁たちを振り返ると、まるで、わたしたちに、私で世界を切り取ってみよ、と言わんばかりの風態で、自分の好きに出会うための強力なツールですらあるのではないか、と思えてしまった。
 
「ポ!」
奇妙な声を上げた。
「オ、オモシロイ! 初メテノ答。完全二理解デキナイデスガ、素敵ナ答ダト思イマス」
「あ、ありがとう」
なんか、褒められると思ってなくて、ロボ相手に照れてしまった。
「トテモ、楽シカッタ! マタキテクダサイネ」
「またね」
私は出口に踵を返した。大きなオブジェクトが目に入る。
入ってくるときに気づかなかったが、出口も額縁に囲われていたようだった。最後まで抜めない美術シェルターだ。そして、ライトに照らされた、出口上方。大きな手書き文字でこう書かれていた。
『世界と隔てたいものが、あなたにはありますか?』
『あなたは、額縁に何を収めますか?』
『私は美しい、この世界を収めます。 館長』
開かれたシェルターの扉からには、まばゆい世界が広がっていた。

6面揃う、3手前の神秘性

今年、できるようになったことの一つで、ルービックキューブが揃えられるようになりました。

できずにいた時と、できるようになったときの「感覚」の違いを残しておきたいと思いました。

できる前の実力

どこか一つの面をとりあえず揃えることはできるが、やり方は無茶苦茶。
なんとかして、持ってきたい面を持ってくるが、他の面は色がバラバラ。

できるようになった後

2~3分ぐらいで、6面揃えられるようになった。

 

残しておきたい感覚

「ずっとできない、と思っていたものが、できるようになる」という、目に見えて変化が現れるスキルを身につけた経験って久しぶりだな、と感じました。

初めて、6面が揃う直前。

本当にこの手順で色が揃うのだろうか、というバラバラなままの配色が、3回ほど回していくと急に揃っていきました。何か、叡智に触れたかのような、自分自身の能力が急激にパワーアップしたかのような、神秘性を感じました。

「えっ、でき…た? できてるじゃん!」

急に変化しすぎて、揃ったという現実の認識が遅れてやってきます。

全面見回して、揃ったという驚きと喜びが遅れてやってきました。

子供の頃は、神秘性を感じる出来事が多かったはずなのに、なぜ減ったのだろう?

大人になるにつれて様々な経験や知識が積もっていくと、様々な出来事も、大体3つぐらいに区分されてしまう気がします。

・簡単にできる

・死ぬ気で頑張ってできるかどうかが五分五分の確率である

・どう頑張っても絶対できない

補助輪なし自転車の運転、逆上がり、二重跳び、みたいな、多少の苦労しながら、できる直前からのできた!という神秘性が得られるものって、大人になると少ないのかもしれないですね。

そういうものを見つけていける、というのも、日々の気づきにつながりそうな気がしました。

まだ6面揃えたことがない方、ぜひやってみてください。

墓参りと、生者の"親近感"、死者の"孤独感"

 

先日、海外の方とお話しする機会があり、お盆の話になりました。

 

「もうすぐ日本では”お盆”があるね。ホームタウンに帰ると思うけど、墓参りに行くの?」

「帰るかどうかは、世間の状況次第ですね」

「そうなんだ。そういえば、日本の”お盆”って合理的だよね。うちなんて、親族でも、墓があっちこっち離れた場所で一度に回り切ることができないよ」

 

確かに。

考えると、日本人のまぁまぁの人が経験する、お盆の墓参りですが、日本の墓が"一族で供用していること”で、まとめて先祖・先だった親族に参ることができるため、容易にできているものだったな、と改めて思いました。

海外で土葬文化の地域では、体が残るので、基本的に個人の墓が多いように思います。つまり、後年、親類の方が亡くなった場合に、同じ墓に入ることが難しく、別でお墓を作る必要が出てきます。
その際、先に作られた個人の墓の近辺にスペースがあるとは限らないため、近くに墓が造られない可能性が高いと推測できます。加えて、亡くなった体を火葬しないと言うことは、別の土地で亡くなった際の輸送費がさらにかかることになります。こういった経緯もあり、親族で集まってそれぞれの墓を作るというのが、一般人にとって難しいのではないかと推測されます。

 

個人の墓・一族の墓では、生者の親近感・死者の孤独感が違いそう

個人の墓と一族の墓について考えた時、思ったのが、墓と自分の間に明確な線引きがあるな、と感じたことでした。

具体的には、個人の墓は、自分と相手、という明確な線引きがされるものの、一族の墓は、遺言等、個人で新しい自分用の墓を作ってほしいという意志がなければ、自分もこの墓に入る可能性があるため、墓と自分の間に線が引かれません。そのため、一族の墓の方が、親近感が湧くような気がします。

そう考えると、個人の墓は、仮に自分が死者の立場だった時に、自分の周りに親族がいる保証はなく、そうなってしまった場合に、ちょっと寂しい気がするかもなぁと思いました。

 

しいて、日本の墓参り習慣の変えるべきところを挙げるとするならば

夏にやるべきではない、ですよね。

死者の帰ってくる、お盆(夏)におこなう、という文化自体は悪くないと思います。

しかしながら、近年の異常気象を鑑みるに、酷暑に墓参りに行くということは、石窯オーブンに足を踏み入れるのと大差がないです。

人が集まる時期、というのが、お盆や年末年始しかない、というのはあるかもしれませんが、もう少し、気候が優しい季節にずらすべきではないかと個人的には思います。

もちろん、みなさん事情はあるし、親族が集まるタイミングで、というのはいいこと思うので、お墓参りされる方は、早朝等、生命リスクのない時間に参られることをお勧めします…。

 

まとめ

海外と日本の墓参りから、一族の墓の親近感や個人の墓の孤独感を書き出してみました。

よく考えたら、個人の墓、ということは、海外の方が墓の数が多いので、放置率も高そうだなと思いました。

それに、複数人が集約されることで、関連する親族も多く、管理の観点で、いいシステムのような気もします。

もちろん、一人で安らかに眠りたい、ということに答えられるメリットが個人の墓にもあるし、昨今、散骨・自然葬など、さまざまな”旅立ち"スタイルがあるので、自分に合ったものが選べるといいですね。

 

明日は、ルービックキューブの話を書こうと思います。

 

今回のサムネイルは、以前投稿したツェルマッドのハイキング動画、リッフェルベルグ駅の手前あたりで積み上げられていた石の塔になります。

youtu.be

「このバスはどっちから乗るんだ?」問題を考えてみる

 

みなさんは旅行先や、普段行かない街で路線バスに乗った時、思ったことはないだろうか?

 

「このバスはどっちから乗るんだ?」

 

後ろで待っていると前が空き、前方に向かって並ぶ列に続くと、後ろのドアが開く。

なぜ、前乗り後ろ乗りバラバラなのか。

 

そもそもの乗車パターン

自分が経験している乗り方パターンは4つだ。

  • 前乗り・後ろ降り

  • 後ろ乗り・前降り

  • 前乗り・前降り(後ろは特殊な状況下しか開かない/後ろに扉がない・長距離バス等)

  • 後ろ乗り・後ろ降り(空港の飛行機までの輸送バス等)

 

それぞれのメリット/デメリット

前乗り・後ろ降り

  • 先払いが可能で、降りる時に支払いの手間がない

  • 先払いの場合、運賃未回収(無賃乗車)を防ぐことが可能

  • 乗り降りの際の、車内の通り抜けやすさがいい(車内前方において、乗車する人と下車する人の方向が一致しており、後ろの座席から下車する際に、乗車する人が妨げられない)

  • 【デメリット】下車口が広く、下車する際にスムーズ

  • 【デメリット】乗車口が狭く、支払い処理が走るため、乗車時に時間がかかりがち。加えて、体が不自由な方や、車椅子の方が前側からの乗車することが難しい

  • 【デメリット】降りる際には、IC以外の支払いが難しい

 

後ろ乗り・前降り

  • 乗車口が広く、乗車に時間がかからない

  • 2回ICにタッチする機会があるので、乗った場所と、降りる場所の記録ができるため、距離に応じた支払いに向いている

  • 運賃未回収(無賃乗車)を防ぐことが可能

  • 【デメリット】下車口が狭い

  • 【デメリット】乗車する際に運転手さんが対応しないため、運賃未回収(無賃乗車・ごまかし)の可能性がありえる

  • 【デメリット】乗車前に行き先を運転手さんに確認したい場合に、下車する人の邪魔になる可能性がある

  • 【デメリット】運転手さん的には、乗り遅れがないか見えにくい時がある可能性がありそう

 

前乗り・前降り

  • 乗車下車の両方で必ず運転手さんが対応可能。運賃未回収(無賃乗車)を防ぐことが可能であるのに加え、乗客も2回運転手さんに尋ねるチャンスがある

  • 【デメリット】降り口が狭く、乗り降りの流線が悪い。乗り降りの激しい路線では、乗降に時間がかかる。

 

後ろ乗り・後ろ降り

  • 乗り降りが広く、楽

  • 【デメリット】運転手さんが確認する機会がない

  • 【デメリット】乗り降り時に混雑する

  • 【デメリット】乗り遅れがみにくい場合がある

こうしてみると、長距離バスや空港のバスは、路線バスに比べて、目的地がはっきりしている分、理に適った乗降口の運用方式をとっているようにみえる。
一方、路線バスは、乗客の目的地が不明、かつ、利用者の範囲・人数も広く、そこに乗り降りの差分が生まれている可能性が高そうだ。

 

実際のところ、どうして乗り口が違う理由は何?

ここまで、イメージで書き出してみたが、実際のところ、どういった差分があるのか、軽く調べてみた

乗り降りの効率化で、乗り方を変更した自治体がある。こちらは予想通り。

news.line.me

関東・関西でも違いがある。エリアごとの文化の違いかぁ…
あと、厄介なのは、乗車時申告制タイプもあるみたいですね

j-town.net

 

乗車口マスターになることは可能か?/乗車口認知のために何ができるか?

結論から言うと、各地であまりに違いすぎて、現状では初見で見分けるのは難しいそう。
一方で、お客さんに乗る前に、乗車口を知ってもらう方法はないか、という観点で、考えた時にできそうなことは、

  • バス停のある床に、乗車口・下車口のマーク(矢印等)を書く

  • バス停の乗り場目印・兼時刻表の立て看板に、前後ろどちらが乗車口かを書いておく

  • バス会社は自社ロゴマークに、前後どちらが乗車口なのかのマークを記載しなければならない法律を作る(冗談)

ぐらいでしょうか。

 

まとめ

  • 乗車口どっちだよ問題は簡単に解決しなさそう

  • 一方で、バスの構造やオペレーションについて考えるいい機会になり、改めて、路線バスをはじめとした現在のバスは、いろんなニーズや社会貢献のための対応をしていて、製造会社はすごいなと思った

  • 加えて、運転手さんは、電車で言うところの、改札役、窓口担当、アナウンス、運転手を一手に引き受けてすごい大変だし、路線も単調ではないため、安全運転も気をつけないといけないので、すごいなと思った。

  • 普段、さらっと乗車、下車しているけど、感謝の気持ちは忘れないようにしたいなと思った

 

明日は、外国人の方とお話しした時に聞いた墓参りの話を書こうと思います

神チャーハンを求めて

 

多くの方々が、一度は抱いた感情があると思う。

神チャーハンが食べたい。

家でつくる火力のチャーハンでは物足りず、
家でつくる冷凍のチャーハンでは物足りず、
家でたべる宅配のチャーハンでは物足りない。

熱々で、ぱらぱら、しっとり。油と旨味の染み渡る、神チャーハンが食べたいのだ。

こうして、僕は神チャーハンをめぐる旅に出た。

 

もくじ

  • 神楽坂 龍朋

  • 大山 丸鶴

 

龍朋

開店10分前で、10人ほどの列ができており、開店直前には20〜30人以上が並んでいました。座席は30ぐらいありましたが、開店後、座席は全て埋まりきりました。

ほとんどの方が、チャーハン頼んでおり、期待が高まります。

チャーハン 800円

一口頬張ると、油と旨味が染み渡り、これだよこれ、これが食いたかったんだ、となる味でした。スパイシーさは弱めで、味付けも抑えめで食べやすく、ゴロゴロのお肉も柔らかかったです。しっとりとした感じで、しっかりと旨味を感じられました。合間のスープが心地いいです。

薄すぎず、濃すぎない多分このぐらいの味付けが、また食べに行きたくなるいい塩梅のラインなんだろうなと思いました。

他のメニューもめちゃくちゃおいしそうだったので、次は夕方に食べたいですね。

店員のおばさまがたは、にこやかで、子供連れに笑顔を見せていたのが印象的でした。どちらかと言うと、町中華、と言うより、中華料理のチャーハンで、さまざまな食べ合わせが可能な、オールマイティの神チャーハンでした。

 

 

丸鶴

町中華といった佇まいで、お店の方は、みなさん忙しなく動いており、追加オーダーなしで1発勝負。職人気質の親父さんが、真剣にモリモリと中華鍋をふるい続けている、活気ある店内でした。雨だったためか、並んでる人数は10人未満で、自分が到着した時には、すぐに入ることができた。

チャーシューチャーハン 950円

一口食べると、黒胡椒とラードのパンチ。これは、漢のチャーハンだ。ガッツリと肉肉しく、業火で炒められた伝統の"ガチ"チャーハンだ!

40%はチャーシューなんじゃないかってぐらいゴロゴロのチャーシュー。レンゲで掬って食べていると、チャーシューチャーハン食べているのか、チャーハンチャーシュー食べているのか、脳がバグることがあるほど肉を噛み締められる。こちらは芯や筋はないが、ほろほろまで行く手前の、歯ごたえがあるが、ほどよく噛み締められるタイプのチャーシューで、しっかり味がついている。チャーシューを大きめのダイス状に刻んでいるのがわかります。
スープはどちらかと言うと塩味あり。

他にも、エビやレタス、とびっ子のチャーハンもあり、見た目がとても鮮やかで美しかったです。

総じて、がっつりと昼から夜にかけて食べたい神チャーハンでした。

 

 

梁山泊

夕方オープンに合わせて向かったのですが、10分前に20人ぐらい並んでおり、中に入れる人数に分けて、店内に案内していました。

厨房は、中心に向かって、10人行かないぐらいの中華シェフが鍋を振っている。カウンター席なので、鍋フリで鍛えられたシェフたちの腕の筋肉や、鍋ふりの心地よい音や、火炎、揚げ焼きそばや炒めのものの、見事な鍋捌きが拝めます。

肉あんかけチャーハン 870円

ベーシックなたまごチャーハンのうえに、細切り肉のあんかけ。あえて食べると美味しい。スープは、三つの中で、1番濁りが少なかった。味は割とあっさり目だが、スープに肉かすがしずんでいて、旨味がある。炒飯の味付けは最低限で、あんかけが少し濃いめになっているので、混ぜるとめちゃくちゃ美味しい。パクパク進む神チャーハンでした。

 

まとめ

三者三様、それぞれ違いがありつつも、神がかった炒飯でした。

みなさんも、自分にとっての神チャーハンを探してみてください。

これからも、まだ見ぬ神チャーハンを求めて、旅に出たいと思います!

(この日はチャーハン3食が1日の食事になりましたとさ)

 

 

普段は旅行動画投稿してます(チャンネル登録してくださると嬉しいです!)

youtu.be