僕はまた、旅に出る。

僕はまた、旅に出る。

額縁に収めたい世界があるとするのなら

 砂埃を巻き上げながら、愛機グリフィンは、かつて高層ビルだった砂楼の谷間をスイスイと駆け抜けていく。砂漠に沈んだ静かな都市の視界は澄み渡っている。しかしながら、防塵マスクを外すことはできない。大気に残留物質が残っているためだ。点在しながら直列する、廃高層ビル群の伸びる影と、天高く注ぎ込んでくる太陽の日差し。シマウマのような明暗が交互に視界をくらませる。
 
 手元のレーダーが赤く点滅し、仮想モニターに文字が浮かんだ。
【シェルター反応あり】
 
 ゆっくりと砂上に着陸し、モニターに従いながら、流砂と瓦礫の平野を歩いていく。巨大な鉄版が見つかった。周囲を見渡すと、入口らしき扉を発見し、表面の砂を払った。
 “美術シェルター”。かつて起こった大戦の際、文化財の保護目的で、世界の富豪たちの莫大な寄付によって美術館から美術品が搬送され、各地にシェルターとして設置されたものだ。中央政府を失った今、戦争の混乱で所在不明となっていた美術シェルターは、トレジャーハンターたちの獲物の一つとなっている。しかしながら、当時の富豪によって敷設された厳重なセキュリティーにより、解錠が難しい美術シェルターも多く、美術品のサルベージは容易ではないと聞く。
 大きく、扉の表面を払う。やはりか。何度も見たマーズ・ナイト社のロゴが描かれていた。モードはパブリック。誰でも、”美術会"の会員であれば入館できる設定になっていた。公立のマークが記載されていることから、このシェルターは地方政府の手によって保護されていたものであることがわかる。つまり、"ベナリザの斜像"のような国宝級の美術品はなく、地方の作家による展示品などが収蔵されているシェルターである可能性が高い。残念ながら、お宝を拝むことは出来なさそうだ。
 何かの縁だ。せっかくだし見ていこう。私は手元の美術会員チップをかざした。すると、高いデジタル開錠音とともに、扉が開く。
「お邪魔しまーす」
もう誰もいないことはわかっているのに、この癖は抜けない。手元の放射計、空気計ともに正常。私は防塵マスクを取る。足を踏み入れると、内部の照明が順々に灯っていった。
 立派な作りのエントランスは、多少の埃をかぶっているものの、今まで目にしてきた美術シェルターに比べれば、相当綺麗な部類だった。空気の澄んだ感じから、保湿装置や防虫・防獣装置が今も稼働を続けているようだ。
「えーっと順路は…」
誰もいないカウンター横の壁に設置された美術シェルター案内図を確認する。風化や変色により、全容を把握できていなかったが、1時間程度で回れそうな大きさであるようだ。
「コ、ゴゥゴゥゴゥ…」
 背後から鈍いモータ音が近づいてくる。室内用オートモービル…もしや、人? 私は念のため、胸元のレーザーガンに手をかけ、ゆっくりと振り返る。
「コンニチワ。ヨウコソ。パニヨン公立美術シェルターへ」
そこには、一回り小さいドラム缶のようなロボットがこちらを見上げていた。
「なーんだ。君か。びっくりしたな」
これは。図鑑でしか見たことがない、百十五年前のマーズ・ナイト社のアーリートゥエンティーシリーズの案内ロボットだ。よく壊れずに残っていたものだ。
「会員データヲ照合シタトコロ、ハジメテノ来館ノヨウデスネ。ゴ案内イタシマショウカ?」
「それはいいわね」
「”モード”ハ、ドウイタシマスカ?」
モード、というのは、マーズ・ナイト社の案内ロボット特有のもので、積極的に説明をするトークモード、案内だけして、適宜質問だけを受け付けてくれるリードモード、客の後ろについてきて、必要に応じて応対するスチュワードモードの三つがある。
「じゃあ、リードモードでお願い」
「ショウチイタシマシタ。キキタイコトガアッタトキ、ボク二ハナシカケテクダサイネ。ソレデハゴアンナイシマス」
「それはどもども」
 静寂。自分の足音、ロボのモータ音だけが、広い館内に響いている。壁に貼られた順路に従い、付いて行くと、この美術館の奇妙な点に気づいた。
“額縁"だけなのだ。本来飾られるはずの絵画や立体作品は存在せず、ただ、空白を囲うようにさまざまな額縁が展示されているだけなのだ。
「コチラハ、ロガンス・ビクトリオン作。閉じ込めの縁、デ、ゴザイマス」
額縁の面積が絵の十倍以上あり、絵を縮小したように飾ることができる額縁のようだ。もちろん。絵はなく、ただ、後ろの壁紙を額縁の内に映し出しているだけである。
 それからも、奇妙な額縁の展示は続いた。太いばらの立体的な額縁。黄金のライオンに絵が食われる形を模したライオン口の額縁。額縁の中に額縁がある、入れ子の額縁。絵の内側に額縁がある二重の丸型額縁。メビウスの輪と言われる古典的な図形を模した額縁や、扉サイズの巨大な額縁など、どれも重厚で見ごたえのある作りだった。さらに、数百年かけて成長するとされる樹木が額縁にあしらわれた生きた額縁など、見たこともない額縁が次から次と登場し、ロボによって紹介されていった。
 
 エントランスに戻ってくると、ロボが案内を終了した。
「以上デ、案内ハ、終了デス」
ロボは振り返り、私を見上げた。
「ありがとう」
私の言葉を聞いて、定位置に戻るのかと思ったが、ロボは立ち止まったままだった。
「どうかしたの?」
「…アナタハ、ガクブチガ、ナンノタメニアルト、オモイマスカ?」
「どうしてそんなことを尋ねる?」
そう言いつつも、内心は、さすが額縁の美術シェルター、変な対話エージェントプログラムを仕込んでいるなぁ、とも思った。
「館長ニ、尋ネルヨウ、言ワレテイルノデス」
やはり、人のいた頃の館長の影響だったか。
「変わった館長ね。…そうねぇ。絵に注目できるようにするため、とか、絵を引き立たせるため、とか。あとは美術品の保護のため、ってのが一般的な見解よね」
「ハイ。確カニ、データベースニモソウ書カレテイマス。デモ…」
「でも?」
「ワタシハ、アナタ自身ノカンガエガ、知リタイノデスヨ!」
ロボなのに、語気を荒げて両手を上下にふりふりする様子は、どこか愛らしくも不器用で、少し心がやわらぐ感覚を覚えた。
「私自身の考えねぇ…」
額縁が何のためにあるか、か。そんなこと、生まれて考えたこともなかった。小さい頃、わずかに集められた古書の挿絵として出てきた”名画"と呼ばれる絵画たち。主題を眺めたにすぎない私は、そもそも額縁というものを認識したのは、もっと後だったわけだし、額縁そのものを意識して見たことだって今回が初めてだ。そんな私に額縁の存在意義を尋ねられても、まともな答えなんて出ないんじゃないだろうか。自問自答する。よくよく考えてみたら、自分の意見を言う機会すら久しいのだ。そう考えると、何だか、心の底から、楽しいという感情が沸き起こってきた。
「ちょっと考えてみるね。もう一回回ってきていい?」
「ハイ。イッテラッシャイ!」
何だろう、ワクワクするこの感覚。私は少しの間、額縁について考えてみることにした。
 
「答ハデマシタカ?」
二巡目の額縁探訪を終えてエントランスに戻ってくると、私に気づいたロボはゆっくりと近づき、私を見上げて尋ねてきた。
「"この世界の美しさを、この世界から、自分の好きなように。そして、それぞれが感じたままに切り取って、宝物にするため”…、じゃないかしら」
いざ口に出してみると、なに小っ恥ずかしいことを言ってるんだ、と思ってしまった。でも、そう結論づけたのは、他でもない、ここにある額縁たちだった。
今まで、絵の装飾品、でしかなかった額縁は、どんな美術シェルターでも、絵画のためのものでしかなかった。でも、今日出会った額縁たちを振り返ると、まるで、わたしたちに、私で世界を切り取ってみよ、と言わんばかりの風態で、自分の好きに出会うための強力なツールですらあるのではないか、と思えてしまった。
 
「ポ!」
奇妙な声を上げた。
「オ、オモシロイ! 初メテノ答。完全二理解デキナイデスガ、素敵ナ答ダト思イマス」
「あ、ありがとう」
なんか、褒められると思ってなくて、ロボ相手に照れてしまった。
「トテモ、楽シカッタ! マタキテクダサイネ」
「またね」
私は出口に踵を返した。大きなオブジェクトが目に入る。
入ってくるときに気づかなかったが、出口も額縁に囲われていたようだった。最後まで抜めない美術シェルターだ。そして、ライトに照らされた、出口上方。大きな手書き文字でこう書かれていた。
『世界と隔てたいものが、あなたにはありますか?』
『あなたは、額縁に何を収めますか?』
『私は美しい、この世界を収めます。 館長』
開かれたシェルターの扉からには、まばゆい世界が広がっていた。