僕はまた、旅に出る。

僕はまた、旅に出る。

2016-2017 年末年始 台湾旅行 その6(終)

最終日。帰国回です。イベント自体はないので、旅を通じて感じたこと、どんな場面で会話や英語が必要になったかをまとめておきます。

 

 起床

10:00      空港へ移動(台北駅バスターミナル発)

11:00  桃園空港着

13:00頃 桃園空港発

16:00頃 関西国際空港

18:00頃 夕食(難波駅周辺、お好み焼き)。夕食後解散

 

空港への移動

台北駅のバスターミナルから桃園空港に向けたバスに乗りました。専用の乗り場があり、チケットは発券機または窓口で購入できます。

 

空港にて

空港に到着。まずは混雑やトラブルがあると困るので早めにチェックインを済ませました。その後、お土産を購入しました。ここで持っている台湾ドルを使いきりました(両替してもあまりレートが良くないため)。搭乗ゲートまで行く途中に食事できるところもいくつかありました。

 

帰国

遅延もなく無事に帰国することができました。飛んでいる間、どうにもふわっとする感じが苦手で、結局行きも帰りも一睡もできませんでした。最後に、初めての海外旅行お疲れ様でしたということで大阪難波駅近くにある、有名なお好み焼き屋さんで打ち上げをしました。

 

旅の所感

この旅を通じて学んだり、思ったことをまとめておきます。

・クレジットカードはあって損はないが、台湾ではいらない。

・やはりマスクは必須。日本がどれだけ都心部でも空気がきれいなのか、よくわかった。三人ともマスクを着用せずに過ごしていたため、旅の終わりには三人とも喉の調子が悪くなってしまいました。

・日本とあんまり変わらないだろっていう先入観は捨てたほうがいいです。自分はそんな先入観を持っていましたが、そんな部分は僅かで、いろいろと異文化の刺激を受けました。

・研究室の留学生や海外からやってきた人たちが、自分の母国語でない国で暮らすときの大変さを学ぶことができた。自分たちが当たり前に視覚等で情報を得ていることでも、海外の人たちには読み取れなかったり、わからないことがたくさんあるんだなと改めて知ることができた。

・日本の本当の良さ悪さを比較できる。日本人から見た日本の良さ=海外の人から見た日本の良さとは限らない。

・これまでより日本にやってきた人たちを助けたいと思う気持ちが増しました。実際に、困ったときに尋ねると、教えてくれた方々が多かった。自分たちが日本で困っている人を英語や他国の言語が喋れないからといって敬遠するのはやっぱりよくないです。確かに、正確な情報やコミュニケーションが取れない不安はあるけど、相手は異国で立ち往生するわけだから、もっと不安に感じています。優しく手を差し伸べられるよう努力したいですね。

 

どういう場面で英語を使ったか
ガイドブックなどに書かれている用語などを全て覚えるのも大変ですし、どうせなら日本語以外のコミュニケーションを楽しみたいという方向けに、自分がどのような場面で英語を使ったか書いておきます。
 
ものを買うとき
基本的には、ジェスチャーでもいけますが、お茶屋さんに行ったときにお茶ごとの違いや、どのくらい欲しいか、オススメはどれか、試飲はできるのかを尋ねるときに使いました。また、一人で買い物に行ったときに、中国語で話しかけられた際に、中国語がわからない旨を伝え、いくらなのか確認したりしました。
 
レストランにて
空いているか、何人グループか、何を注文したいか、支払場所はどこかなどを尋ねました。
 
駅にて
少し記述しましたが、MRTの改札のIC部分の認識が日本に比べて遅いため、入場記録が記憶されず、駅から出られないという出来事がありました。そのときに、改札窓口で、事態を説明し、どこから乗ったかを駅員さんに伝えました。
 
郵便局にて
日本円から台湾ドルに両替したい旨を伝え、用紙記入の確認などをしました。
 
博物館にて
博物館で、持ち物制限があった際、ボディーバック持ち込めるかを確認しました。
 
最後に
 まとめることに半年ほどかかってしまいましたが、今後台湾に行かれる方が、少しでも楽しめる情報を提供できたなら幸いです。特に、台北101のカウントダウン花火は強くお勧めします。異国での年末年始はとても刺激的で、美しいものでした。
今回は三人とも初海外ということで事前にかなりスケジュールを綿密に決めていましたが、次はもう少し自由に行動できるよう、言語の習得をしっかりしておきたいなと思いました。ガイドブックに載っている場所の大半は、日本語が通じましたが、それだけだと旅のルートが代わり映えしないというのも確かです。ですので、よりディープな旅をしたい方、ぜひ現地の言葉を学んでいってみてください。きっと楽しいですよ。
 
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
 
それから二年後の高雄編