僕はまた、旅に出る。

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キャッシュレス化が進むお年玉は、未来でどうなる?

今更ですが、明けましておめでとうございます。

 

お正月といえば、お年玉。もらった方、あげた方。色々いると思います。

 

ふと気になる記事を見つけました。

最近のお年玉事情に関する記事です。

20歳以下の3割がお年玉のキャッシュレス支給を希望しているようです。

実態としては、まだまだ現金渡しが主流かと思いますが、興味深い話だと思います。

 

ということで、今回はお年玉のキャッシュレスと未来について考えてみます。

 

そもそも、お年玉の由来って知っていますか?

一番有力な説は、各家庭で祀られた五穀豊穣の神様に対して、年末に備えた鏡餅(丸餅)を、神様が帰るタイミングに、お下がりとして、家長から家族等へ分け与えことで、一年の健康と豊作にあやかれるというものだそうです。

 

このため、餅には魂が宿っており、元々は、御歳魂(おとしだま)という当て字だったとされています(諸説あり)。

 

そんなお餅が、お金に変わったのは、昭和の経済成長期以降とされています。というのも、多くの人が農村社会から、都市部に移って生活を始めたため、お米や餅を作らなくなった代わりに、手軽に準備できるお金を渡すことに変わったということでした。

 

丸い鏡餅の御歳魂(おとしだま)から始まったお年玉も、いよいよ、質量を失って、キャッシュレスへと進んでいるんですね。

 

お金のありがたみ(価値)がキャッシュレスになって薄れてない?

現金が主流であった頃は、そう簡単に大金を使うことができませんでした。

 

理由はもちろん、お金を使うには、購入したいものを販売する店舗まで出向く必要があったためです。

 

加えて、手元の財布の残高を超える商品を購入する場合には、一度お金を下ろしたり、冷静にお金に対して、購入するものの価値を推し量る時間がありました。

 

一方、現代では、クレジットカードやプリペイドスマートフォン支払いというように、スマホさえあれば、自宅に居ながら、なんでも買うことができます。

 

つまり、どこでも簡単に、そして衝動的に使うことができるようになったわけですね。

 

お金が揮発性の高いものになったのかも

現金は「実体」があり、「1万円」や「5千円」、もしくは「千円」という単位で「◯枚」をお札として「持って」います。

一方、デジタルマネーは電子上での数字でしかないので、「実体」はありません。

ゲーム内通貨やパラメータを見ている感覚に近く、数値が大きいか、小さいか。多いか、無くなりそうか、みたいなものなので、人によって大小の「感覚」が異なります。

 

また、当たり前ですが、デジタルマネーには、(同一通貨内で)「両替」や「おつり」という概念がありません。
つまり、物理的な「減る」という感覚を得ることができません。

 

現金でもらう2000円と、○○ペイの残高でもらう2000円はどちらの方が多いように感じますか?

 

コンビニやスーパー、はたまたショッピングモールへ足を運んで見た、10000円の商品を現金で購入する時と、ECサイトの画像だけで表示された10000円の商品を購入する感覚も、なんだか違うような気がします。

 

現金の"価値"ってなんだろう?

いくつか、現金であることの価値はあります。

ぱっと浮かんだのは、4つです。

 

一つは、災害に強いことです。停電時に利用できます。

 

二つ目は、目に見えることです。"誰"が"何人"財布にいるかがわかるので、価値や手持ちのお金を正しく認識できますよね。

 

三つ目は、交換の即時性が低いことです。
財布にある現金を超える価格のものは、一度銀行などで引き出す必要があり、さらに、販売されているお店まで、再度出向く必要があります。
そのため、欲しいと思ったものを欲しいと思ってから、購入するまでにタイムラグが発生するようになっています。
これによって、本当に欲しいものなのか、衝動買いをする前に考えることができます。

 

四つ目は、"想い"や"意志"を載せて渡すことができることです。

加えて、現金は基本的に直接渡すことになり、そこには”想い”や”渡す相手への意志”が付与されているんじゃないか、と僕は思います。

 

お年玉のお金や結婚式のお祝い金。
人によっては、わざわざシワのないお札を銀行などで貰ってきて、ポチ袋なりに入れていることを考えると、思いやりなどが、お金に上乗せされると思います。
さらに、普段会うことのできない(会わない)本人から「実体」で受け取ることで、この人が稼いだお金なのに、わざわざ自分のためにくれる、というありがたみが上乗せされるのではないかと思います。

 

もちろん、デジタルマネーでも、利用上限や可視化手段が複数ある点、デジタルでも想いを載せることは可能ではあるので、あくまでも自分の主観になりますが、現金の方が、これらの価値があるのではないかと自分は考えています。

 

改めて、お金の価値を適正な形で認識するにはどうしたらいいのか?

このように、交換の即時性が高まったことや正しくお金の量を認識できなくなっていることで、簡単に多額のゲーム課金やネットショッピングできてしまうようになったため、多くの人が、デジタルの金銭感覚を狂わせてしまっているような気がします。

 

やはり、そうなってくると、現金にあるような「実体」を擬似的に得られる方法があるのかもいいかもしれません。

 

話は微妙にずれるかもしれませんが、「新しいiPhoneが20万するので代わりに20万を持ち歩く」なんて方法で、自分が手にするものの価値を理解しよう、という記事があったりしました。

 

デジタル金銭感覚を適正に保つには、視認できる形でも同額の現金を持ち、比較できるようにするなど、必要になるのかもしれませんね。

 

キャッシュレスお年玉の行き着く先は?

神様の魂がこもったお餅から、現金、そしてデジタルマネー。
魂や想いが抜け、質量を失っていくお年玉は、今後どうなっていくのでしょうか?

 

少し、イメージしてみたいと思います。

 

スマートフォンでの送金になる、ということは、いつでもどこでも気軽にお金を渡せる、ということになります。

すると、どうなるでしょう?

 

わざわざ正月にお金を渡す意味、ありますか?

 

必要がなくなるわけです。

 

そうなってくると、正月に渡さなくても渡せてしまうので、渡す側としては、「今度でいいや」、という思考になります

 

そうなってくると、デジタルで渡す側はお金を渡すことをきっと忘れてしまうでしょう

 

その行き着く先はというと、「お正月にお年玉という形でお金を渡す人が減ることで、お年玉をもらう側は、年々、お年玉をもらう額が減るため、お年玉文化が終焉する」という結末を迎えてしまうのではないか、というのが、自分の予想です。かなしい。

 

お年玉が現金として配られるようになったのも、たった半世紀と少し前であることを考えれば、あと半世紀と少し立てば、消滅することは決しておかしくない話です。

 

お年玉に込められた想いや揮発性がより高まるというのであれば、お金を渡すこと自体も蒸発する、というのが自然な流れかもしれません。

 

まとめ

・お年玉のこれまでと、現在、そしてこれからを考えてみました。

お年玉は渡せるうちに渡しましょうもらえる機会があるなら、「ちょうだい」と積極的に主張しましょう。

「なんでもできること」がお金の価値なのではなく、お金に込められた「想い」にこそ価値があるのかもしれませんね。

 

参考文献

ja.wikipedia.org

www.tokiwa-ss.co.jp

allabout.co.jp

www.quocard.com

dailyportalz.jp

 

そろそろ動画投稿も頑張りたい(よければチャンネル登録お願いします!)。

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