僕はまた、旅に出る。

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"記憶"が"思い出"になること

夏の暑さも和らぎ、秋の足音が夜風に感じられるようになってきました。

みなさんは"夏の思い出"はできましたでしょうか?

今回は、”記憶”と”思い出”について、以前考えていたことを書こうと思います。

 

 

みなさんは、”記憶”と”思い出”の違い、って何だと思いますか?

 

よく言われるのが、

 

「”感情”を伴うのが、”思い出”、伴わないのが、記憶」

 

または、

 

「”体験”を伴うのが、”思い出”、必ずしも伴わないのが記憶」

 

なんて言われたりします。

 

 

自分は、これ以外にも、違いがあると思っています。

 

「”ある出来事・瞬間の光景・感情を全て覚えている”のが、”記憶”、

”ある出来事・瞬間の光景・感情が淡く美しく風化したもの”が”思い出"」

 

とも言えるんじゃないかなと思っています。

 

なぜ、こう考えたかと言うと、ある症状の持つ方がいることを知っていたからです。

ハイパーサイメシア(超 記憶症候群)というものを知っているでしょうか?

 

この症状を持つ人は、見たもの全てを記憶でき、自分の生活の中で起こった些細な出来事ですら、ほとんど全て覚えているようです。

 

みなさんが昔の出来事を語る時、現在の目線から、当時を語ることが多いと思います。

 

一方で、ハイパーサイメシアの人が昔の出来事を語る時、全ての光景が”再現"されるので、記憶は色褪せていません。これは”思い出"と呼べるのでしょうか?

 

ぼくらにとっては、淡く美しく過去の思い出は、彼らにとって、1分前に見た光景とさほど変わりません。今、この瞬間と地続きの光景は、きっとグロテスクなほどに、リアルを感じているのだと思います。

 

学生の頃、試験の際に、全てを忘却せずに、暗記できたらな、と思った時期がありました。

しかし、全てが記憶されてしまったらどうなるのか、という視点が欠落していました。

 

スーパーサイメシアの人たちの、超記憶に羨ましさを感じていた一方で、

スーパーサイメシアの人たちは、”記憶”が"思い出"になる、ぼくらに、羨ましさを感じているのかもしれない。

 

そう考えると、どちらも一長一短です。

 

“記憶”は、いずれ"思い出”になる、その価値に改めて気づけたような気がします。

そう思った、"記憶"と"思い出"の話でした。

参考

karapaia.com