僕はまた、旅に出る。

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「万バズ」博物館ができた場合の面白さ

先日、記事でも書いたように、会津にある博物館に行く機会がありました。

 

ちょうど、新撰組の特別展が開催されており、当時の状況を記したさまざまな文献が展示されていました。

歴史上の人物の直筆の手紙や、当時の動乱の様子が記された書物を見た際、ふと思いました。

 

 

誰でも情報発信ができる、情報過多で、コンテンツ消費の速い現代社会。

展示されている文献のように、現代の世俗や価値観を映す鏡として、何かを展示するとしたら、何が面白いだろう?

 

Twitter でめちゃくちゃバズった(万バズ)ツイートを展示したら、もしかしたら(笑えるという意味ではなく、興味深いという意味で)面白いのでは?

 

ツイートがバズる、ということは、そのツイートが、その時代背景や共通知識・認識に基づいて、どのようなことが多くの人にとって、「面白い」とか「共感できる」と思われていたのかという歴史的な資料になり得るのではないかと思いました。

 

情報化社会以前の展示物との違いとして、万バズツイートは、何かを記述した(ツイートした)本人の主観に基づく「面白さ」だけではなく、リツイートやいいねの数といった、そのツイートの客観的な「面白さ」を理解したり、「共感」する人の数・規模が数値としてわかるということが挙げられるんじゃないかと思います。

 

 

あくまでも説明のための例として捉えていただきたんですが、もし、「ちいかわ」のキャラクターたちが手を繋いでいる絵に、「天空の城ラピュタ」で最も有名なセリフと言っても過言ではない「バルス」という言葉が添えられたツイートが「10万リツイート」や「10万いいね」されたとしましょう。

 

これを 「リツイート/いいね」 した人たちは、そのツイート時刻において、以下の共通知識や認識があるかと思います。

 

  • 「ちいかわ」というコンテンツを知っている

  • 天空の城ラピュタ」というコンテンツを知っている

  • 天空の城ラピュタ」では、「バルス」というセリフがあることを知っている

  • バルス」というセリフは滅びの呪文であることを知っている

  • 「ちいかわ」たちが「バルス」のポーズをとる、という本来あり得ない状況の可笑しさを理解できる

 

つまり、秒単位のタイムスタンプが残された、ある時代のある瞬間において、上記の共通認識を持つ人が「リツイート/いいね」の数だけ居たということがわかります。

 

これは、現存する博物館の歴史的な書物との大きな差異だと思っていて、ある展示物の「当時」の影響度合い(流行り)・その出来事に対する共通認知がどの程度あったか、ということを、数値を伴って残せているということになります。

 

これって、(ネタとして笑える、というよりは歴史的な資料として)面白いと思うんですよね。

 

もし、そういった代表的な「万バズ」が収蔵された博物館ができたとしたら(どちらかというとデジタル図書館みたいな方が現実的なのかも)、コンテンツが大量生産・大量消費される情報化社会を生きる人たちの歴史も、埋もれていくだけではなく、歴史を伝える文化財になるのではないでしょうか。

 

個人的には、美術館みたいに、ツイートが額縁に飾られて歴史背景なども含めて解説されている展覧会とかあったら面白いかもなと思ったりもします。

 

ということで、博物館に行った時にふと思った、「万バス」博物館の面白さ、の怪文書?でした。