僕はまた、旅に出る。

僕はまた、旅に出る。

変わった風習を地続きで感じられる嬉しさ

 

科学技術が発展した現在でも、変わった風習、というものが結構残っていたりします。

 

Twitter などで「変わった風習」とか「奇祭」をキーワードとして、検索すると、いろんな地域の奇祭や由来不明の伝承が流れてくるようになりました。

 

自分も知っている変わった風習や伝承・奇祭がいくつもあります。

 

例えば、最近、離島に行く中で知ったのが、神津島の「25日様」。旧暦の1月のある日は、外出を控える風習があり、日中外に出ると、たたりがあるとされています。

近く島でも似たような風習があるようですが、他の島では「怨霊」、神津島では、「神様」がやってくるという違いがあったりするみたいです。

vill.kouzushima.tokyo.jp

kozushima.com

 

福井県の「雄島」では、時計回りで島を回らなければいけない、なんて話があったりします(由来が定かではないです)。

観光ページには、「時計回りで1周すると」と書かれていて、「時計回り」であることが書かれていて、ちょっと不思議な感じです。
もしかしたら、昨日の記事でも書きましたが、会津若松の「さざえ堂」のように、巡礼方法が右回りである、という決まりが元々あったりしたが、雄島では、それが変容して、時計回りを守らないことに対する警告として、たたられる、なんてものになったのかも知れませんね。

kanko-sakai.com

 

最近見たものだと、京都では「追い出しあらめ」と呼ばれる、海藻のゆで汁を玄関前にまいて、精霊がこの世に未練なく冥土にいけるよう送る風習などもあるようです。

www.kyototuu.jp

 

数をあげればきりがないですが、SNSなどのおかげで、いままでは「〜らしい」と言葉やテキストで伝承されていたにとどまっていたものが、動画として、実際に行われている様子を見れるようになりました。そのお陰で、やや神秘性が薄れてしまったものの、自分の住む世界と地続きの世界で、今も続いていることが実感できました。なんだか不思議だけど、嬉しいなと思えています。動乱の大きな歴史だけが日本を構成する全てではなく、各地さまざまに歴史があり、しかもそれが過去の出来事ではなく、現代も続いている、ということが、どこからでも見られる(時間的・空間的に地続きとなった)という点で、誰でも技術が使える社会に進んでよかったなと思います。

 

また、こういった変わった風習や奇祭について、個人的にいいなと思うことは、想像の余地を残していることです。たとえ、動画で観られるようになったとしても、全てが明らかにされるるわけではありません。由来不明であるが、なぜかその地域に住む人々にとっては、当たり前になっていて、どうして今も続いているのか、なぜこの風習が始まったのか、という「謎」は残されたままで、考察させてくれる余地があるのがいいな、と思います。

 

まぁ、サーバーの上に神社を立てる風習や、最近の「ミャクミャク様」なんかをみてると、些細な冗談や、ちょっとした盛り上げが、現実の風習の由来になっていたりしているのかも知れませんね。

 

そんなわけで、変わった風習が地続きとなったことの嬉しさでした。