僕はまた、旅に出る。

僕はまた、旅に出る。

遡上する生命、交差する今

古びた船の底、エンジンが不安定なリズムを刻んでいる。カラフルな衣装を纏う人々とは対照的に、聖なる川の岸は煤け、淀んだ印象を受ける。

 初めてのアルバイトの給料で買った、小さなフィルムカメラを構え、ヴァーラーナシー、ヒンドゥーの聖地の生活を写しとっていく。

「信じてくれるかわからないけど、聞いてくれる? ミヤ、私は…」

彼女は澄んだ目で私を見据えた。

 

 慣れない文字が車窓を流れていく。鳴り止まないクラクションに背筋をビクつかせながら、乗車するバスは車列をかき分けていく。カラフルなパラソルをさし、色鮮やかな野菜を販売する八百屋。所狭しと、麻袋いっぱいのスパイスを並べる香辛料の商店。外壁の崩れた煉瓦造りの家屋。土とゴミで汚れた路地裏。さまよう牛たち。見るもの全てが、新しくも古めかしい、不思議な感覚。

 この場所が、学生最後の一人旅になったのは必然だったのかもしれない。目指すのは、ヴァーラーナシー・ヒンドゥー大学。ここ、インド・ヴァーラーナシーへの旅行は、研究室の教授のひとことがきっかけだった。

 就職活動が無事に終了し、卒論を残すのみとなった大学四年生の夏。これまでの学生生活を振り返る中で、私は何をしていなかっただろうと振り返っていた。高校生の頃は知る由もなかった、さまざまな学問を学び、サークル活動では、活動や学祭などのイベントを通じ、大学生の本懐を堪能した。恋愛だって、酸い甘いもそれなりに経験したつもりだ。

 私にとっての時間、世界のすべてがそこにはあった。思い起こせば、たくさんの思い出が興奮と共に蘇ってくる。これらを携えて、私は社会人までのモラトリアムをどう過ごせば、後悔なく大学生活を終えられるのだろう。

 そんなモヤモヤを抱えていた私を突き動かしたのは、教授との面談だった。定期的な進捗面談の折、何かのきっかけか、そんな思いを吐露したところ、教授はニコっと笑った。

「君は真面目だねぇ。そんなこと、なるようになるのに」

冗談めいた口調で宥めてくる教授に、

「こう見えても、真剣なんです! 私は」

拗ねたような口調で私は訴えかける。すると、

「そうかぁ…」

顎に手を添え、教授の表情が引き締まった。研究報告会で見るような、仕事モードの目だ。

空を見つめながら、一呼吸を置き、私に向き直ると、教授はこう告げた。

「君は、生きるってどういうことか考えたことがあるかい?」

生きる、ですか。いきなり、そんなこと言われてもな。言われるまで、生きていることが当たり前すぎて考えたことがなかった。

「ない、かもしれないですね」

「…就活とかで、『私は何がしたいか』については、たくさん考えてきたと思う。でも、『私は何のために生きているのか』、については、考えたことがなかったんじゃないかい」

「確かに。言われてみれば、そうかもしれないですね」

「だろう。もし、その答えのヒントが掴めれば、目先に待っている仕事、だけじゃなく、人生を通じたライフワークが見つかるかもしれない。そういうのを、見つけてみるのはどうだろう?」

ライフワーク、か。確かに今の時代、一つの仕事を続ける以外にも、複数の仕事をしたり、転職する人も多いと思う。

将来、仕事や人生の節目に立った時、私は、自分が何のために生きているのか、答えを出せているのだろうか。分からない。いや、今この時点で考えたことすらないのに、出てくるわけもないと思う。

「一度きりの人生を、どう使うか。考える間もないままに、終えてしまう人も少なくはないんだよ」

教授のとどめの一言は、私の心をざわつかせるには十分だった。

 

 古びたバスを下車すると、立派なインド様式の門が見えてきた。この後、教授の知り合いの、大学教授の研究室に所属する学生と落ち合うことになっている。校門にさしかかると、彼女はそこに立っていた。

「こんにちは」

「ようこそ、ミヤ。アイラよ、あえて嬉しいわ」

彼女が今回の旅先案内人を引き受けてくれたアイラだ。美しく長い黒髪に、くっきりとした二重瞼の彼女は、長袖にジーパンと非常にラフな格好で、非常にすらっとしている。インドの女性は、普段もサリーを着ていると思っていた私にとって、彼女の装いは意外で、1番最初に感じた逆カルチャーショックだった。

「よろしくね」

私たちは握手を交わし、歩みを進める。

「日本からここまで遠かったでしょう。疲れてない?」

「いえ、大丈夫。心配ありがとう」

「オンラインミーティングで会っていたから、リアルで会うのが不思議な感覚ね」

「確かに」

私たちは笑った。画面の向こうにいた人間が目の前にいる感覚は、なんだか有名人と出会う感覚に似ている。

「インドは初めて、だったよね?」

「うん、初めて。だから、とっても刺激的」

韓国や台湾。近場へ旅行した経験はあるが、中央アジアは初めて。街並みも、人も、空気も。短い私の人生に登場したことがないものばかりだった。

「…ほら、どこでもクラクション鳴ってるし、牛は好き勝手歩いてるし」

今、この瞬間も、”彼ら”は道路の真ん中を悠々と歩いており、周囲のボックスカーやミニタクシーが器用にかわしていくのである。

「言われてみれば確かにそうよね。私たちの国では、…いいえ、正確には私たちの宗教では、ね。彼らは神聖な神の使いなのよ」

 

 今回、アイラに、ぜひ連れて行ってほしいと頼んだのが、ヴァーラーナシーで最も有名と言っても過言ではない、聖なる岸、ガートだ。ボートを使い、ガート沿いを揺蕩いながら、この地を生きる人々の生活を眺めよう、ということになっていた。

 大通りを過ぎ、狭い路地裏を抜ける。すると、急に視界がひらけていき、巨大な河川が目の前に現れた。

 …ガンジス川だった。川のほとりの波止場に歩いていくと、彼女が船乗りと話し、私を呼び寄せた。

「もうすぐ出るみたい。乗りましょう」

アイラは私の手を取る。

 椅子の底から、波のうねりが伝わってくる。次々乗り込んでくる観光客に、こんなに乗って大丈夫なのか、と心配になりつつ、岸沿いを眺めて、出発を待った。

 十人程度が乗り込んできたところで船は出発した。カラカラと鳴り響く真鍮の鐘の音。ごろごろと低くうなるエンジン音。バチバチと爆ぜる、岸沿いの火葬場の木材。そして、形容し難い、さまざまな厚みを持った香り。五感をともない流れ込む、さまざまな生活模様は、脳の処理をスタックオーバーフロー寸前に追い込み続ける。

「ガートについて、どのくらい知ってるの?」

アイラが私に尋ねる。

「観光ブックに書いてあるぐらいかな」

「わかった。じゃあ、簡単に紹介するね。ガートは私たちの憧れ、というか、私たちにとっては生活と切り離せない大切な場所なの。国のいろんなところから、みんながここへやってくる。ガンガーで体を清めると、私たちの罪が許されるって言われてる。

 あと、ミヤが言った火葬場。ここで身を焼かれることはとても幸せなことだとされてるわ。死んだ人は最初に、近くにある寺院に安置されて、神様の言葉を聞かされるの。そのあと、ガンガーに浸されてから体を焼かれて、ガンガーに流される。これで、生きていた時の罪が許されて、この世界から解き放たれるって言われてる」

「死んだ後のことなんて、考えたこともなかった」

「もしかしたら、他の国の人たちからすると、死が身近にあるように見えるかもしれないわね」

死生観。考えたこともなかった。幸いなことに、生まれて二十年と少しの間、身内の不幸の経験のなかった。私は、死というものからもっとも遠いところに住んでいたのかもしれない。

 ボートは緩やかに降っていく。ガートに映る、この地の人々の暮らしを目に焼き付けていると、アイラは訪ねた。

「詳しく聞いていなかったけど、ミヤはどうしてこの場所に来たかったの?」

「どこから話したらいいかな…。実は私、悩んでいたの」

ここに至る経緯を、アイラに伝える。学生時代の思い出。残りの大学生活の使い方。生きることとは。私の思いが、言語の壁をどこまで越えられたのかはわからないが、伝えたいことは伝えた。

私の表情が真剣だったからかもしれない。いつの間にか、アイラの表情から柔和さは消えており、気づくと、真っ直ぐと私を見据えてくれていた。

「…生きる、か」

ガートに視線をやり、アイラは呟いた。再び、視線を私に戻すと、アイラは言葉を紡ぎ始めた。

「信じてくれるかわからないけど、聞いてくれる? …ミヤ、私は一度生まれ変わってるんだ」

「…え?」

私は言っていることが理解できず、聞き返す。

「それって…どういう」

「死ぬ前の記憶があるの、私。このガンガーで一度、私は焼かれて流されてる。そして、この川の源流で再び生まれたの」

彼女は言葉を続けた。前世は男性で、農家だったのだという。詳細な生い立ち、家庭環境を話す彼女に驚いた。

「そして、もう一つ。前世の私が生まれたのは、2084年。死んだのは、2137年」

「それって…」

「私の前世は今より未来で、過去に生まれかわったってこと」

 

「…未来は、どうだったの?」

興味本位の言葉が、口から続く。

「テクノロジーは進化していたけど、人というものの本質は変わっていなかったわ。この地も、この地で行われている営みも同じだった」

「一回目の人生では、生きることを学べたの?」

「…学べなかったわ。生きている、ということが当たり前すぎて、死という終わりが来るまでは、その意味すら考えることがなかった。だからこそ、二度目の人生が始まったのかもしれないし、今、生きる意味を見つけようとしているのだと思う」

「…そっか。きっと、あなたも同じ、なのね」

私は呟く。

「たまたま、私が、生きるということについて考えることに、一回目の人生で気づくことができた。たまたま、アイラはそれが二回目だったってことなんだと思う。これまで経験した記憶を携えて、これから先、そして今を生きることの意味を、答えを探している」

「そうね。その通りかもしれない」

アイラは頷いた。

「…私は。私たちは何のために生きていくのだろう?」

はるばるインドの、このガートの、このガンガーのほとりにやってきた私は、何が得たのだろう。

目を閉じてみる。

ボートの重低音。人々のざわめき。法具の金属音。木材の爆ぜる音。川のゆりかごに身を委ねてみる。

 

脱力した私は、走馬灯のようなものを見た。蘇る、鮮やかな映像。どの時間、どの場所の記憶や思い出にも、誰かがそばにいて、笑ったり、泣いたりしていた。流れ込む感情の荒波が、私の網膜の裏側に、温かい涙をもたらしていた。

 私の中には、たくさんの記憶が、たくさんの思い出があった。私の心は、それら記憶と思い出で構成されていると言っても過言ではないと思う。そして、それらには、いつも誰かがいた。家族、友人、お世話になった人たち。

私はこの記憶(ひと)たちのおかげで、今がある。

「…もしも、人生というものが、川の流れだというのなら。もしも、人生というものが、すれ違いや寄り添いで流れていくというのなら。私は、誰かと寄り添って、流れの先に進みたい。

どれだけの人が救えるのか。どれだけの人に寄り添えるのか。…分からないけど、私は流れていく世界を見つめながら、出会った人たちの願いに手を差し伸べる人生でありたい」

日本語で言葉を紡ぐ私がそこには居た。目を開けて、慌てて英語で補足する。

「分かったわ、アイラ。私は、願いを叶える助けをしたいのだと思う。…これがきっと、私の生きる意味」

淡くきらめいた瞼を拭っても、ガンジス川の輝く水面が目の前に続いていた。

「見つかったのね、意味が」

「…うん」

「素敵、だと思う」

「ありがとう」

「…流れていく世界、ね」

アイラは私に身を預ける。いや、私というより、ボートのゆらぎに、身を任せていた。

「確かに、私たちは流れている」

黄金色に輝き出した空を、彼女は見つめていた。

「…アイラ」

「なに?」

「生まれ変わるとしたら、次も過去に向かって生まれ変わるんでしょう?」

「たぶん、ね」

「流れる先が違ったとしても、すれ違えて、本当によかった」

「私も」

私たちは、ただ船の揺蕩いに身を任せ、ガートを下っていった。

 

 

…過去を遡上した先に、何があるのか。いつ、この世界から解放されるのか。私には分からない。

私たちは記憶と思い出を携え、今生きる意味を探し続けていく。流れる先が過去だろうと、未来だろうと本質的には、同じでしょう?

ただ、あなたと今という点で交わったという記憶は、今後どれだけ流れていこうとお互いに消えることはないのだと思う。

あなたの、私たちの流れつくの果てに、どうか、幸福がありますように。

 

 

参考

www.youtube.com

www.youtube.com

"記憶"が"思い出"になること

夏の暑さも和らぎ、秋の足音が夜風に感じられるようになってきました。

みなさんは"夏の思い出"はできましたでしょうか?

今回は、”記憶”と”思い出”について、以前考えていたことを書こうと思います。

 

 

みなさんは、”記憶”と”思い出”の違い、って何だと思いますか?

 

よく言われるのが、

 

「”感情”を伴うのが、”思い出”、伴わないのが、記憶」

 

または、

 

「”体験”を伴うのが、”思い出”、必ずしも伴わないのが記憶」

 

なんて言われたりします。

 

 

自分は、これ以外にも、違いがあると思っています。

 

「”ある出来事・瞬間の光景・感情を全て覚えている”のが、”記憶”、

”ある出来事・瞬間の光景・感情が淡く美しく風化したもの”が”思い出"」

 

とも言えるんじゃないかなと思っています。

 

なぜ、こう考えたかと言うと、ある症状の持つ方がいることを知っていたからです。

ハイパーサイメシア(超 記憶症候群)というものを知っているでしょうか?

 

この症状を持つ人は、見たもの全てを記憶でき、自分の生活の中で起こった些細な出来事ですら、ほとんど全て覚えているようです。

 

みなさんが昔の出来事を語る時、現在の目線から、当時を語ることが多いと思います。

 

一方で、ハイパーサイメシアの人が昔の出来事を語る時、全ての光景が”再現"されるので、記憶は色褪せていません。これは”思い出"と呼べるのでしょうか?

 

ぼくらにとっては、淡く美しく過去の思い出は、彼らにとって、1分前に見た光景とさほど変わりません。今、この瞬間と地続きの光景は、きっとグロテスクなほどに、リアルを感じているのだと思います。

 

学生の頃、試験の際に、全てを忘却せずに、暗記できたらな、と思った時期がありました。

しかし、全てが記憶されてしまったらどうなるのか、という視点が欠落していました。

 

スーパーサイメシアの人たちの、超記憶に羨ましさを感じていた一方で、

スーパーサイメシアの人たちは、”記憶”が"思い出"になる、ぼくらに、羨ましさを感じているのかもしれない。

 

そう考えると、どちらも一長一短です。

 

“記憶”は、いずれ"思い出”になる、その価値に改めて気づけたような気がします。

そう思った、"記憶"と"思い出"の話でした。

参考

karapaia.com

“月の土地” は、未来で化けるか?

ここ50年ほどは、月面に宇宙飛行士が行くことがなかったのですが(理由は簡単で、めっちゃお金かかる)、最近、アルテミス計画という、2025年までに、月面に宇宙飛行士を送り込む計画があったり、再利用可能なロケットに代表される、SpaceXのすさまじい技術進歩や、中国の探査機の、月の裏側の調査、一般人の宇宙ステーション滞在といったように、”月との距離”が近づきつつあります。

 

おそらく、あと100年とかからず、月面旅行や、月面での滞在が想定されると思います。現在、月の土地を販売する会社がありますが、月旅行が現実的になる場合、月の土地はどういう扱いになるのか、少し調べて考えてみました。

 

 

そもそも”月の土地”ってどういう扱いなの?

月の土地を販売する会社によると、月の土地を販売できる理由として、1967年の宇宙条約に、国家が月を所有することは禁止されていないが、個人が所有してはならないことが言及されていないからと言うことでした。加えて、実際に、月の権利宣言書を国連等に提出をしたものの、異議申し立てなどがなかったため、とのことでした。

 

一方で、1984年には「月協定」が発効されていて、そちらには、企業や個人も月の土地や資源の所有を禁止している内容が書かれていますが、批准国が少なく、効力があまりないみないでした。

 

法的側面では、所有権は客観的要件として占有を行う必要があるらしく、実際に月の土地を占有していない場合には、所有権は認められる可能性はなく、土地の売却はできないとされています。

 

現代の宇宙科学等の発展をみるに、このあたりの線引き(法改正等)がされる未来はそう遠くなさそうです。そうなると、法的側面の抜け穴が埋められる可能性は高く、土地証明が無効になってしまう可能性があります。

 

仮に、月の土地証明が有効の場合、どうなっていく?

現段階では、証明書が有効と判定される可能性はかなり低いですが、仮に証明書が有効、となった場合、どうなっていくのでしょうか?

 

おそらく、月面旅行の実現が近づくにつれて、株のように土地の価格が値上がりしていくものと思われます。

 

より、一般人の旅行が現実味を帯びてくると、月面見学と土地販売がセットのパッケージツアーもありそうですよね。正確な位置の測定はできるようになっていくはずなので、「あなたの土地はあそこですよ(降りられるとは言っていない)」と、地上ではなく、上空から眺める感じになるんじゃないかと思います。

 

現代において、月旅行を難しくしている一番の要因は、やはりお金がかかる、ということなので、技術面のブレイクスルーが起これば、100年後ぐらいには、宇宙旅行は海外旅行ぐらいの価格で、月面旅行はミリオネアの旅行ぐらいの価格で行けるようになっているかもしれませんね。

 

我々の子孫が、先祖が残した月の土地証明を手に、月を尋ねる実話や物語が今後出てくるのかなと思ったりします(もしかしたら、物語は誰かが書いているかもしれません)。

 

 

まとめ

  • 未来において、月の土地証明の扱いがどうなるかはまだ分からないが、技術発展をみるに、法整備や土地に関する扱いが改めて議論されることになりそう。

  • 仮に土地証明が有効になっている場合、株のように価格は釣り上がっていきそう。

  • 未来では、土地見学ツアー付きの分譲プランは富裕層向きに出てきそう。

  • その前に、月面旅行価格が下がるための技術的なブレイクスルーが必要になる。

 

 

参考

sorabatake.jp

gigazine.net

diamond.jp

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

次の旅行先は…?

8月毎日ブログ投稿も、ラストスパートになりました。

 

この1ヶ月間、投稿してきた内容は、経験や旅行記、感じていたこと、といった "これまでやったこと” ばかりだったことに気づいたので、"未来のこと” も書いてみようと思います。

 

ということで、次回の旅行先(地域)を発表したいと思います。

 

 

 

九州です。

 

 

旅行先を決めるきっかけ

今年のマイブームは「」です。最近のブログ投稿でも、何件か、島に関する記事を書いています。

 

heat02zero.hatenablog.com

 

heat02zero.hatenablog.com

 

heat02zero.hatenablog.com

 

特に、旅行先を決めるきっかけになったのは以下の記事でした。

 

heat02zero.hatenablog.com

 

あまり知られていない日本の島を調べるために、日本地図を見回していたのですが、九州で、気になる島を見つけました(記事の中ではあえて紹介していません)。

離島と美しい海、大切にされてきた歴史と文化。これぞ、離島旅行に醍醐味だなと思っていたので、行ってみることにします。

 

ということで、次回の旅行先は、九州の島、になる予定です。

旅行に向けて情報収集を進め始めています(チケットは取りました)。

公開については、おそらく10月以降になるかと思います。

 

なお、今後の動画スケジュールとしては、以下になる予定です。

 

9月

・◯◯島旅行記(予告編)
・スイス旅行記 #10

 

10月

・◯◯島旅行記(本編)
・スイス旅行記 #11

 

10月末〜

・九州のとある島の旅行記

お楽しみに!

TOEIC800点ぐらいは取っておきたい人の「ゆる英語学習」

昨今、グローバル化や英語教育が進んでおり、英語の資格取得を目指す人が増えています。

 

最近の英語学習動画などでは「満点取得者の」とか、「極める」とか、「最速」とか、かなり本気な英語学習法の紹介も増えていて、いきなりキツイなと思う人も多いかなと思っています。大体、辛すぎて三日坊主になりがちです。

 

自分は大学生の頃からTOEICを定期的に受けていて、ゆるく学習を続けてます。ガッツリやっているわけではないですが、ここ数年は、800点前後(英語できない人からすると、まぁまぁ。できる人からすると、そんなすごくない点)をキープしています。ちなみに外国留学・赴任経験とかは一切ないです。現在、動画投稿をしているのですが、社会人になって、一人でスイスに二週間ほど旅行したりはしました。

 

満点とか、ガチを目指しているわけではないけど、ほどよく点数をとっておきたいな」という人に向けて、モチベーション維持や「ゆる英語学習」について書いておこうと思います。参考になれば幸いです。

勉強に取り組む前に

正直、英語の勉強で一番大事なのは、モチベーションだと思います。環境的要因(海外赴任や仕事で英語を使う)がない限り、勉強が嫌いだったり、英語が得意でない人は、TOEICそのもののスコア取得をモチベーションにやると、続かないことが多いです。

個人的におすすめなのが、「英語(TOEIC)を目的のための手段として学習する」ことです。例えば、海外旅行に行きたい、とか、リアルやオンラインゲームで外国の方と仲良くなりたい、とか、自分の創作物を英語でも配信したい、などが挙げられると思います。

 

自分がTOEIC(英語)を勉強するきっかけは以下です

  • 受験の際に必要(これは環境的要因)

  • バイトで外国人の方の手伝いをする際に、コミュニケーションができなかった苦い体験から、コミュニケーションとれるようになりたいと言う思い

 

最近のモチベーションは

  • 海外旅行に行った際に、現地の人と雑談ができるようになりたい

  • 動画投稿にあたり、海外の人とやり取りする場合があるので、困らないようになりたい

  • 英語を使った仕事も少し興味があるから習得したい

 

上記で挙げたように、英語でできるようになりたい目標のために、英語を学習すれば、英語自体のスコアを目標とするよりは、圧倒的にゆるく学習が続きます。



個人的におすすめな「ゆる英語学習法」

 

自分がおすすめする方法は、以下です。

 

  • ポッドキャスト/ラジオを聞く(英語学習、ではなく、英語で何かをやっているもの)

科学や最新の話題を扱うポッドキャストはおすすめです。個人的には「バイリンガルニュース」あたりは入りとしていいんじゃないかなと思います。

 

これも、海外旅行や海外生活が好きな人なら観るといいと思います。現地の会話が入っているものがあれば、生きた英語も学べるので尚良いと思います。

 

 ・TOEICで出てくるような会話シーンを映像で観ることができます。TOEICで出てくる会話が、問題のための英語、から、伝えるための英語に変わるはずです。

 

  • 行きたい旅行先の海外のHP(英語)とかを観る

行きたい旅行先のことを知るために、知らない単語を調べたりするので、「英語=たのしい」という刷り込みができます。行きたいところが見つかったら、そこに行くためにはどんな会話が発生するか考えてみてください。では、会話が発生する時、どんなことを伝える必要がありますか? 伝えるために必要な単語はなんでしょうか。そうやって辿っていくと、伝えたいことのための英語になるので、学習意欲は上がると思います。

 

  • 単語を覚えるときは「文脈」を一緒に

最初はボキャビル、とよく言いますが、ありがちなのが、英語と日本語の単語のペアだけを暗記することです。できれば、その単語の英語が使われる文と一緒に覚えることをお勧めします。そうすると、ひとつの日本語の意味だけではなく、単語のニュアンスを含めて覚えられるし、どういう文脈で出るかがわかるので、覚えやすくなります。

 

  • 自分の好きなことを、英語で独り言で話す

以前、外国の方と映画の話題で盛り上がったとき、「面白さを伝えたい」という思いから、なんとか捻り出したり、次に会う時までにニュアンスを伝えようと思って、調べたことがありました。自己紹介のイメージでもいいですし、自分の好きなことを英語で話せるよう、練習するのは、わりとモチベーションとしては悪くないと思います。

 

  • 「週末何してた?」に備える

英会話レッスンでもよくあることですが、「週末何してた?」は鉄板の質問です。ここから話題を広げられるようになれば、英語で話すことが楽しくなってきます。

 

まとめ

それなりに点数取っておきたい人の「ゆる英語学習」について書いてみました。
やってみようかなと思ったものがあれば、試してみてください。

 

冒頭紹介したスイス旅行は以下です(チャンネル登録していただける嬉しいです!)。

www.youtube.com

「そんなところに島があったとは…」となる、行ってみたい島たち

 

日本の島は約6800、うち有人島は約420あります。

 

日本人であっても、それぞれの地域に住んでいなければ、地図を見ても気づかない島がたくさんあります。

 

そんな、気づかなかったけど、気になる魅力的な島がたくさんあるので、いくつかを紹介してみようと思います。いつか行けるといいなと思っています。

 

甑島(こしきしま)列島

鹿児島の左側にある、上甑島、中甑島、下甑島からなる島々です。

長崎の五島列島や、熊本の天草は島々があることは知っている方が多いかと思いますが、実は、鹿児島の左側にも島があります。それぞれの島は橋がかかっており、車で回ることが可能です。

satsumasendai.gr.jp

「長目の浜」という、国定公園の海岸があり、ビュースポットになっています。日本三大トンボロ(陸繋砂洲)である、里トンボロがあったりします。こちらも眺望スポットで、美しい景色を眺めることができるようです。

 

 

神島

三重県と愛知県に囲まれた、伊勢湾・三河湾の入り口に浮かぶ、三重県の島です。

www.iseshima-kanko.jp

石灰岩でできた、カルスト地形があったり、小説の舞台や、映画のロケ地にもなっているようです。定期船が1日4運航していたりと、意外と訪れやすい島です。ゲーター祭という変わったお祭りもあるようです。

 

紀伊大島

和歌山県の最も南にある、串本町の右にある関西最南端の島です。

www.town.kushimoto.wakayama.jp

昔、トルコの軍艦が難増した際に、島民が献身的難救助をしたことで、有効の証としてトルコ記念館や慰霊碑が建設されりしたという歴史があるみたいです。

 

 

舳倉島

石川県の能登半島輪島市の真上にある小さな島です。

hegura.com

歴史は古く、弥生時代から。昔は、毎年6月から10月まで、集団移住して生活していたという歴史があるようです。日本有数の渡鳥のオアシスとなっています。

 

 

妙見島

こちらは、東京都にある島で、しかも江戸川区にあります。

hegura.com

旧江戸川にある中洲の島で、東京都23区唯一の自然島とされています。工場が多いですが、神社があり、トラックと猫が多いらしいです。

 

 

飛島

山形県にある島です。

yamagatakanko.com

渡鳥の中継地らしく、春と秋にはバードウォッチャーで賑わうらしいです。
展望台からは、日本海鳥海山を望むことができます。

 

 

焼尻島(やぎしりとう)・天売島(てうりとう)

北海道の利尻島からまっすぐ下にいくとある島です。最寄りの町は、羽幌町になります。

teuri-yagishiri.jp

観音岬展望台からは、断崖絶壁と美しい日本海が見られます。海鳥の繁殖地をめぐるガイドツアーもあるようです。星空がとてもきれいです。

 

 

まとめ

47都道府県回るぞ、とか、日本制覇するぞ、という話をよく聞きますが、島を含めた「都道府県」や「日本」という観点では、知らない場所はまだまだあるなと改めて思いました。

都市部だけでは感じられない、日本の良さを感じられると思いますので、長期休暇ができたら、いつか行ってみたいなと思います。

「万バズ」博物館ができた場合の面白さ

先日、記事でも書いたように、会津にある博物館に行く機会がありました。

 

ちょうど、新撰組の特別展が開催されており、当時の状況を記したさまざまな文献が展示されていました。

歴史上の人物の直筆の手紙や、当時の動乱の様子が記された書物を見た際、ふと思いました。

 

 

誰でも情報発信ができる、情報過多で、コンテンツ消費の速い現代社会。

展示されている文献のように、現代の世俗や価値観を映す鏡として、何かを展示するとしたら、何が面白いだろう?

 

Twitter でめちゃくちゃバズった(万バズ)ツイートを展示したら、もしかしたら(笑えるという意味ではなく、興味深いという意味で)面白いのでは?

 

ツイートがバズる、ということは、そのツイートが、その時代背景や共通知識・認識に基づいて、どのようなことが多くの人にとって、「面白い」とか「共感できる」と思われていたのかという歴史的な資料になり得るのではないかと思いました。

 

情報化社会以前の展示物との違いとして、万バズツイートは、何かを記述した(ツイートした)本人の主観に基づく「面白さ」だけではなく、リツイートやいいねの数といった、そのツイートの客観的な「面白さ」を理解したり、「共感」する人の数・規模が数値としてわかるということが挙げられるんじゃないかと思います。

 

 

あくまでも説明のための例として捉えていただきたんですが、もし、「ちいかわ」のキャラクターたちが手を繋いでいる絵に、「天空の城ラピュタ」で最も有名なセリフと言っても過言ではない「バルス」という言葉が添えられたツイートが「10万リツイート」や「10万いいね」されたとしましょう。

 

これを 「リツイート/いいね」 した人たちは、そのツイート時刻において、以下の共通知識や認識があるかと思います。

 

  • 「ちいかわ」というコンテンツを知っている

  • 天空の城ラピュタ」というコンテンツを知っている

  • 天空の城ラピュタ」では、「バルス」というセリフがあることを知っている

  • バルス」というセリフは滅びの呪文であることを知っている

  • 「ちいかわ」たちが「バルス」のポーズをとる、という本来あり得ない状況の可笑しさを理解できる

 

つまり、秒単位のタイムスタンプが残された、ある時代のある瞬間において、上記の共通認識を持つ人が「リツイート/いいね」の数だけ居たということがわかります。

 

これは、現存する博物館の歴史的な書物との大きな差異だと思っていて、ある展示物の「当時」の影響度合い(流行り)・その出来事に対する共通認知がどの程度あったか、ということを、数値を伴って残せているということになります。

 

これって、(ネタとして笑える、というよりは歴史的な資料として)面白いと思うんですよね。

 

もし、そういった代表的な「万バズ」が収蔵された博物館ができたとしたら(どちらかというとデジタル図書館みたいな方が現実的なのかも)、コンテンツが大量生産・大量消費される情報化社会を生きる人たちの歴史も、埋もれていくだけではなく、歴史を伝える文化財になるのではないでしょうか。

 

個人的には、美術館みたいに、ツイートが額縁に飾られて歴史背景なども含めて解説されている展覧会とかあったら面白いかもなと思ったりもします。

 

ということで、博物館に行った時にふと思った、「万バス」博物館の面白さ、の怪文書?でした。